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第2章 長野 大生(ながの ひろき)

長野くんの幼少期から小学生時代を辿っていくうちに、「平和主義」なんだけど猛烈な「負けず嫌い」だという性格がわかってきました。いつもビリだった運動会のかけっこも、学校のグラウンドを走り込みで練習し、負け無しの瞬足を手に入れたのでした。

そんな後天的韋駄天の長野くんは、友達同士でのお絵かき遊びや大好きな読書で、周りとの温度差を感じ始めます。

「あれ、もしかして俺が何かに夢中になったら、周りの友達は冷めちゃうのかな」

負けず嫌いで、何かに熱中することができるタイプ。だけど、他人との争いは好まない。

そんな長野くんの学生時代編・第2章です。


「出る杭は打たれる」を経験して、一生懸命なぼくが“冷める”まで。

ーー「出る杭は打たれる」ってやつだよね。そんな風に、才能を発揮して周りから疎まれるパターンと、何かおかしいと思ったことに対して正論を言ったら「水を差すな!」と咎められるパターンがあるけど、それもあった?

それはあんまり記憶にないかな。

でも、やることには何事も一生懸命だった。勉強も、やれって言われた宿題も必ずやってた。運動会の練習から音楽の授業まで、ちゃんとやる。いわゆる“優等生”だったんだよね。

だから小学校高学年になってくると、みんな「ちゃんとしてるやつ、ちょっとダサい」みたいな思春期になってくる。その時は杭を打たれてたね。「なに真面目にやっちゃってんの?」って感じで。

ーーそれは友達だったり、特定の誰かに言われてたの?

全体的に、そんな空気感があったと思う。
いじめとまで言えるか分からないけど、ハブられてるなって思う時期はあった。

漢字の勉強を真面目にやってたら、周りは笑うわけよ。別に、俺は普通に勉強してるだけなのに。

ーー確かに同じ年齢であっても、純粋に真面目に取り組む人と、思春期で斜に構えちゃう人とで違いが生まれてくるよね。

あとは、6年生の時の小大会。長崎市の小学生がいろんな競技で競い合う大会なんだけど、俺は足が速かったから陸上の100m走に出たんだよね。

この時も昼休みに1人だけ猛練習して本番に臨んだんだけど。

ーーすごい。小1の時だけじゃなくて、小6でもまた休み時間に走り込みしてる!(笑)

そうそう(笑)。一緒の競技に出る別の男子は全然やらなくて、俺だけやってた。めちゃくちゃ頑張ってた。

で、本番の小大会では、ちょうどサッカー部のエースみたいな人と同じ組で負けちゃった。100分の4秒差くらいで負けて、2位。俺ら2人だけ13秒台で、他の組は14秒台だったんだよね。

しかも、練習してなかったもう1人の男子は、別の組で1位になってるし。

ーーうわー。長野くんが別の組だったら、絶対に1位だったのに。

友達からも「悔しいよな」って同情されたよね(笑)。

小学校高学年の5年生から6年生にかけての間が、一生懸命やってる自分から、「あーもういいや」って冷めちゃう自分への移行期間だった。

ーーそれは、ちょっとモチベーションが落ちてきてたタイミングで、努力が報われなかった出来事があったから?

いや、報われないのはあんまり気にしてなかったかな。
なんだろう、やっぱり「温度差」かな。

ーーそっかそっか。結果はどうであれ、長野くんはただ何事にも真面目に取り組みたいだけだったんだね。「あいつ昼休みに練習してるのに2位だった」って思われてそうだから、それもなんか癪だよなぁ。結果は悔しいけど、そこじゃないのに。

周りの期待と、大人の評価にうんざり。

ーー「もうどうでもいいや」って思うようになって、そこから手を抜き始めたり?

運動会の応援団長を、毎年最高学年の生徒がやっていて。団長だったサッカー部の先輩から、「次はお前がやれよ」って言われてたんだよね。

俺も「やります!」って応えていて、5年生の時までやる気満々だった。

でも、6年生になったらもう逆に冷めちゃって。「一生懸命やってたらみんなと距離ができちゃうなんて馬鹿馬鹿しいな」って思ってやらなかった。

ーー応援団長なんて、周りとの温度差すごく感じるだろうね。先生からの期待も大きいだろうし、頑張っちゃう分、余計に同級生からの視線が気になるかも。

5年生と6年生の担任が同じで、やる気だった俺が急に冷めて「やらない」って言うもんだから、「どうしたと?」って困惑してたね(笑)

ーー真面目で一生懸命だったら、大人は褒めてくれたんじゃない?

それが嫌だったんだよね。

サッカー部の遠征試合で、保護者が付いてくることがあって。うちの親は結構来るほうだったんだけど、たまに付いて来ない時に、俺が自分で着てた服を畳んでバッグに入れてたんだよね。他の子たちは畳んで入れることなんてなくて、バッ!て詰め込むだけ。それを見て、他の子の親が「さすがやね〜」って言うんよ。

ーーなるほど。大人は褒めてくれるけど、それだと友達との温度差が広がるだけだね……。

学級委員も、立候補がいなければクラス投票制。自分がなることが多かった。

でも、嫌だったのは、票を入れてもらったのに2位でなれなかったとき。自分は「あ、そうなんだ」で終わるんやけど、先生が「学級委員になれなくて残念やったね」みたいに言ってくるのよ。

別にさ、こっちは望んで学級委員になりたいわけじゃないのに。だから、悪気なく「ならなくてよかったです」って言ったら、怒られちゃって。「みんながせっかく投票してくれてるのに、なんでそんなこと言うの?」って。

ーー長野くんは、自分らしく行動しているだけなのに、それが勝手に“周り(大人)の期待”に変わっちゃってるんだ。なんだか息苦しいかも。

そういうのもあって、一生懸命やるのが馬鹿馬鹿しいなって思う時期がしばらく続いたかな。中学校の2年生ぐらいまではそうだったかも。

「歌のテストで真面目に歌っちゃってるの、バカじゃね?」みたいなタイプになっちゃって。そのほうが友達との距離もできないし。

ーー学校っていうコミュニティの中でうまくやっていくためには、そんな振る舞い方も避けられないよね。長野くんも、友達と衝突したいわけじゃないんだし。

少しずつ自分を取り戻しながらも、燻る思春期

ーーたとえば、中学校だったら合唱コンとかあるよね。本当はもっと真剣に取り組みたいのに、ブレーキかけてるみたいな感じだった?

合唱コンは一番わかりやすいかな。
中1・中2までは一切歌ってなかった。

でも、3年生の時の先生が熱血タイプで、今までの中で一番良い先生だったんだよね。みんなも思春期が終わりかけで、「ちゃんとやろうよ。最後の年だから」って空気になって。そこでちょっと盛り返した。

ーーなるほど。じゃあ中学時代の大半は、少し冷めた感じで過ごしたわけだ。

中3の時だけは勉強も、体力テストも、運動会とか文化祭のイベントごとも、全部がんばったかな。

でも、高校に入ってから社会人になるまで、ずっと慢性的にやる気ない感じだったかもしれない。スポーツだけは別だったけど。

ーー高校生になったら、また人間関係も環境もガラッと変わるよね。年齢も大人に近づいてきたから、それはそれで温度差感じる場面も多くありそう。


いかがでしたか?小学校・中学校と、長野くんの意識の変化期をお話いただきました。

「本当は自分はこうしたい」と思っていても、周りの目を気にせずに我を貫けるかどうかはまた別の問題。学校という集団生活の中で、居心地のいい関係性を築こうとするのは自然な流れですよね。

そういった振る舞い方一つひとつが、身を守る盾になったり、他人と仲良くなる武器になったりするわけで。

自分自身は普通にちゃんとやりたいだけなのに、周りの友達はそれがダサいって思い始める。しかも、大人は真面目な子を取り立てて褒める、無意識に期待を押し付けてしまう。

「あー、もうどうでもいいや。ちゃんとやるのって、馬鹿馬鹿しいな」

「平和主義」な長野くんは、少しずつ、でも深く根が張っていくように、そう考えるようになりました。

そんな長野くんの高校時代のお話を、第3章でお届けします。

続く。

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