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ひと粒ひと粒、味わっている。

何に対してもそうなのだけど、僕はタイトルをつけるのが苦手。本文は書けるんだけど、それに題名をつけるとなると…手が止まってしまう。

ちょーのくんが題した、最近グッときた言葉は「幸せを、無駄遣いしよう。」って、どういうことなんだろう?後に続く言葉の中に、何かメッセージが隠れているのかなぁ。うまく見つけきれなかったけど、この題名、なんか分かるかも。

確かに、「無駄遣い」をしている時こそ、僕は幸せを感じる。

美味しい食べもの、うっとり見惚れてしまう風景、大好きな人と過ごす時間。人の心を幸せにしてくれる「何か」は、みんなでシェアした方がいいに決まってる。それを、他の人を差し置いて、僕だけが独り占めしている瞬間って幸せじゃないですか。え?これ全部もらっていいの?僕が?と不安になるような、贅沢な感覚。ああ、幸せを無駄遣いしたい。

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さて、リクエストにお応えして、僕の思春期を支えていた文章が、誰かに何かを伝えるための文章に変わっていったきっかけを。

ある時から「言葉そのもの」が大きな命題となり、夢中になってしまいました。

福岡で生まれ、大学は長崎へ進学。そこで東日本大震災の復興支援サークルに入ることに。大学1年生の夏休み。いよいよ、東北地方の被災地へ足を運ぶのです。

その時に抱いていた感情は「怖い」でした。

何も知らず、九州のあたたかい地域で幸せに生きてきた自分が、
東北へ行って何ができるのだろう?
何が言えるのだろう?
無知が故に、被災された人を傷つけてしまわないだろうか?
そうして不安になりながらも、東北に訪れた時の感覚。
涙を流してくれたガイドさん。津波で流された建物。
あの感情は、今でも忘れられない。

と、言いたいところだが。それはきっと無理なのだ。あれ?

いつまでも当時の記憶を鮮明に保っておくことはできないし、見たこと聴いたことをありのまま誰かに伝えることはできない。ましてや、僕は当事者ではなく、ただの他人。どれだけ寄り添いたい気持ちを持っていても、その壁は決して越えられないんだなと悟った。

あれ。上辺だけの綺麗事を並べても、大事なことって全然伝わらないんじゃね?ていうか、それってホントに俺の本心か?良いこと言おうとしてない?
なんて、悶々と考える日々。

そんな葛藤もあって、誰かに何か(大切なこと)を伝える時は、
できるだけ丁寧に、できるだけありのままに、できるだけ自分の本心に忠実な言葉で表現することを心掛けてきた。だって結局それが一番伝わると思うから。

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相手のためを想って、とかじゃない。むしろちょっとしたプライドみたいなもので、自分のエゴでもあると思う。

伝えたい!この想い!この感動!
決して陳腐なボキャブラリー、ありきたりな言い回しでは口にしないぞ!

という、意志の表れ。いや、意地の表れ?

人が何かを表現する原動力って、突き動かすモノがあるよね。ちょーのくんの書きはじめは、どちらかというと「自分の世界」で、創作的に言葉を綴っていた印象。それが他人と交わるようになって、何か変わったことってある?

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