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カラーよりも色褪せない、モノクロ写真。

往復書簡マガジン「てんびん座」は約2週間ごとの更新がお約束でした。
ちょーのくんが更新したのは、1月でした。
あけましておめでとう。今年もよろしくね。(ごめんね。)

師走先生は慌ただしく、大忙しなイメージがあるけれど、弥生さんも負けていないよね?
なんかこう、年末よりも年度末って、絶対に跨いではいけないデッドラインであることが多いから、血眼になって日々を生きているよ。

しかも、出会いと別れの季節でもある。
3月9日だったり、3.11だったり。
こっちは「え、あったかいな今日?春だな?」って平和ボケしている最中に、ふと胸が抉られるような切なさに襲われる。そんな簡単に受け止めるキャパなんてないのよ。

弥生さん、師走先生よりも、実は侮れない説。

ちょーのくんは、年末年始、大変だったみたいだね。
おやすみ、大事。
でも俺は、なんか今は立ち止まったらあかん気がして、このまま行けるところまで行ってみようと思う。燃え尽きるんだ。

・ ・ ・ ・ ・

先日、友人から言われた言葉がありました。

「モル先生の“エッセイ”が読んでみたいです。」

まず、先生だなんて恐れ多いからやめておくれ。
親しみを込めてそう呼んでくれていることは分かっているのだけれど、照れくさい。

でも、エッセイって、どう書けばいいのか分からないんだと、正直に答えた。
このてんびん座マガジンを始めるにあたって、一番最初の記事にも書いたんだ。

なんだか無性に「エッセイ」なるものを書いてみたくて、noteを使ってみることに。
しかし考えてみると、はて、エッセイとは何だろう?

なんか、おしゃれでポエミーなやつだろうか。
確かにそういう類の創作文章をさらっと書けたら、知的でユーモアがあって素敵だと思う。
だけど、まだしっくりは来ていないのが正直なところ。

このマガジンを始めたいと思った、原点であり、テーマでもある。

ショートショートを書くようになって、創作の文章が身近になってきて、以前よりもエッセイなるものにお近づきになれた気もする。
ちょっと話がズレるけど、揶揄するように使われる「ポエマー」という言葉は好きじゃない。

で、なんで書けないのかなって、その友人と考察を深めた。
「エッセイ」は何かわからないけど、「インタビュー記事」は書ける。
なんでなんだろう? その違いは何だろう?

導き出した答えはこうだった。

僕にとって、インタビューの記事は、お話を聴かせてくれた人への「ラブレター」。

「いいな」「素敵だな」「もっとみんなに知ってほしいな」

僕自身がそう感じたことを素直に言葉になおしているだけで。読者にどう読まれるかはそこまで重要ではなくて、話し手への愛を込めたお返事をしたためているだけだから。

そうなると、浮かんだ一つの疑問。
エッセイは、自分に向けたラブレターということになるのかな?

だとしたら、書けないな…(笑)

やさしいライターになりたい。やさしい言葉を書く人になりたい。

抽象的だけど、いまの僕の目標はこれです。
だけど、その矛先が自分になった途端、言葉選びは迷子になる。
自分に愛のある言葉を、やさしい言葉をかけるって、どういうこと?

・ ・ ・ ・ ・

ある人が教えてくれました。

「カラーの写真は、やっぱり色褪せるからダメね。やっぱりモノクロよ。モノクロは、いつまで経っても色褪せないもの。」

へえー!そうなんだ…!

色味があるような温かい言葉も素敵なのだけど、白黒のやさしい透き通った言葉もいいなって思いました。

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