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『サラバ!』


読み終わってみるとあっという間だった。

読み始めは、この小説がどんな展開になっていくのか全然分からなくて、話もずっと単調に進んでいったから『上』はだらだら読んだ。でも『中』に入ると、『上』であやふやに放置された話の意味がわかってきたり、予想外の展開が起こったり、早く早く結末を知りたくて『中』『下』は2、3日で読んでしまった。

主人公の圷(今橋)歩を通じて、人間の「醜い」部分を包み隠さず言葉にしているのがすごく印象的だった。小説とはいえ、こんなにもあからさまにできるのかと、自分自身をとても客観視できていた。自分にも当てはまる「醜い」部分がたくさんあって、でもそれを「醜い」と思わなくてもいいんじゃないかと少し思えた。


ちょっとネタバレを含みます・・・

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最近「春から働き始めること」と「自分が普通すぎること」に対する不安を抱えていた自分に、少し希望を持たせてくれた。


人生何が起きるか分からない

20代までモテてモテて、就職せずフリーライターとして働けていて、仕事もプライベートも(家族の問題は除いて)充実していた歩が、30代になって髪が抜けてきたことを一つのきっかけに、仕事もせず引きこもりになってしまった。一方、子どもの頃から20代までずっと自分の世界で生きてきた歩の姉・貴子は、30代になってパートナーを見つけ、とても穏やかな性格になった。

わたしはたびたび、「今」に集中できていないがゆえに起こる「未来」への不安に陥ってしまうのだけど、未来のことなんて心配してもどうしようもないなぁという気持ちに引き戻してくれた。その未来は、歩のように人生のどん底に落ちるかもしれないし、貴子のように大逆転するかもしれないし。ただ将来のことを考えすぎて不安になるより、考えないあるいはどんな自分になっているか想像するのを楽しむ方が、自分が一番楽だよなぁと気づかされた。


あなたが信じるものを誰かに決めさせてはいけないわ

9月まで、たくさん人と会って一緒に何かをしていて、それ以降人と会うことに疲れてしまった。特に初対面の人と会うことや、大人数の人がいる場所に行くことが。なぜだかよくわからないけど、もともと少人数で集まる方が好きだし、初対面の人には気をつかってしまうから、そういう不慣れなことを一度にした疲れが出てしまったのかもしれない。

いろんな場所でいろんな活動をしている人たちとつながっていると、自分が「普通」すぎることを恥じてしまう。自分の「普通」と思っていることが、他人から見たら「普通」ではないことももちろんあると思うけど、どうしても子どものときから今まで世の中のレールに乗っかっているだけの自分は、平凡な人間だなぁと思ってしまう。突飛なことをしている人の話を聞くと、いつも「すごい!」という言葉しか出てこない。そして、それを素直に「すごい!」と思えない自分がいて、憧れというより羨ましさをいつも含んでいる。つまりは、自分も何かこれ!というものを身につけたいのと、人と比べてしまう癖をいつまでたっても直せないだけなのだけど。

でも、こんなモヤモヤを最近抱えていた自分が忘れていたのは「自分を信じること」だと、この言葉が教えてくれたような気がする。今やっていることやこれからやることを自分が信じないと誰が信じてくれるんだっていう話だし、それがどんな方向に転ぶかは誰にもわからないし、自分の選択やそれを選択したときの想いを見つめ直して信じてみようと思えて、気分が少し晴れた。


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この本は、上・中・下に進むにしたがってどんどん未解決なことが明らかにされていくから、1回目に読んだ感覚はもう味わえないと思う。でも、明らかにされたことを知っているからこそ気づく登場人物の想いや行動もあるから2回目以降も楽しみだなぁ。将来が不安になったときや、自分を信じられなくなったときに読み返すバイブルにしよう。

※写真は、本に出てくるイランでもエジプトでもなく、10月に行ったトルコのカッパドキアというまちです。