大してかわいくもない赤ちゃんはいる

社会生活を送っていると、他人から赤ちゃんの写真を見せられる機会が訪れる。「これ、うちの子です」「かわいいですね! いま10ヶ月くらいですか?」みたいな会話をする。赤ちゃんはかわいい。赤ちゃんとして存在する、というその一点において全員かわいい。なので正直に「かわいいですね!」と言える。髪を切った人に「髪、切りましたね!」と言うくらいの正直さがある。

とはいえ、見せられる赤ちゃんの写真全部に「かわいい! すっごくかわいいですね!」とか言い始めると、様子が変わってくる。髪を切った人全員に「髪、切りましたね! 似合いますよ!」と言うくらいの嘘が入り込みだす。シャーロットと名付けられた赤ちゃんがいたと仮定して、赤ちゃんとしてかわいさを感じるのと、シャーロットちゃんにかわいさを感じるのとは、少し違う。(「同じだろ」と思った人は、もう読まなくてよろしい。)

わたしの感覚では、赤ちゃんという存在のあり方にかわいさを感じる。赤ちゃん一人一人を見て、その子にかわいさを感じるかどうかは別の問題だ。ガラス細工のカマキリに美を感じるのと、一匹のカマキリに美を感じるくらい別の問題だと思う。「赤ちゃんとしてかわいいけど、かわいい赤ちゃんではないよね」みたいな感想は十分にありうる。ただし、そういう感想を面と向かって言うと、あとあと面倒くさい。

赤ちゃんはかわいいと書いたけれども、そのかわいさを好むのも嫌うのも人の自由だ。ちいかわが苦手な人もいるように、赤ちゃんのかわいさが苦手な人もいる。人の自由なのだけれども、赤ちゃんのかわいさが苦手だとうっかり表明したら、やっぱりあとあと面倒くさい。Twitterのスープ屋まわりの騒ぎも、そういう類の面倒くさい事態なんだろう。

完全な邪推だけれども、二重瞼で口元に食べ物が付いていない赤ちゃんだったら、この人は「私子供好きじゃないから、もうスープストック行きません」だけで済んだんだろうな、と思う。ちょっとだけ同情する。

わたしは赤ちゃんや小さな子を見かけるたびに、真っ当な人間になってほしいな、と思う。そういう期待はだいたい裏切られるんだろうな、とも思う。

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