空を這う子どもと私のカオスについて #映画にまつわる思い出

 その映画に触れたきっかけは多分テレビのコマーシャルだったと思います。
 中学2年生の夏頃、父親が見ていたテレビの合間にふと流れていたそのCMがなぜかひどく心に焼き付いて、「この映画を観に行こう、観に行かねばならない」と、その時の自分は何か使命感のようなものを帯びていたような気がします。
 同じ頃に友人が「何か映画を観たい。映画館に行きたいだけだから観るものはなんでもいい」というような提案をしてくれていたこともあり、その友人を誘って、おそらく人生で初めて親を伴わずに映画を観に行きました。電車で何駅か行った先の、できたばかりの大型ショッピングモールの中の大きな大きな映画館の大きな大きな入り口で、それなりに緊張しながらチケットを買い、ドキドキしながら席に着く。そうして初めて自分から鑑賞したのが、映画「スカイ・クロラ」でした。
 この映画の原作を書いた森博嗣さんといえば「すべてがFになる」シリーズなどの名作を手がける大物作家、この映画の監督の押井守さんといえば「攻殻機動隊」「機動警察パトレイバー」を手掛けた押しも押されぬアニメの大御所ですが、当時の自分はその辺りのことを全く知りませんでした。当時からアニメ鑑賞はしていたため、もしかしたら攻殻機動隊の名前くらいは聞き及んでいたのではないかと思うのですが、明確に攻殻機動隊のファンの方と交流したような記憶があるのがそれより一年ほど後のことなので、何も知らなかった可能性もあります。本当に何を思って「スカイ・クロラ」にあれほど惹かれたのか、当時の自分に問うてみたいものです。おそらく、明確な答えは返ってこないのでしょうが。

 しかし「スカイ・クロラ」は当時の自分に非常に深く焼き付きました。いちばんよく覚えているのは”永遠の子どもたち”キルドレが飛行機と共に這い回る空の光景、そしてこちらも素晴らしい作曲家である川井憲次さんによる穏やかながらもどこか不安定で、寂しさと温かさを同時に感じるメインテーマです。それまで映像技術や劇伴(劇中曲)に注目したことのなかった私にとって、緻密に描き込まれたものが大スクリーンで余すことなく突きつけられる背景描写や、映画館の恵まれた音響装置によって観客を包む複雑な音楽表現は非常に情報量が多く、ただただなすすべなく圧倒されるばかりのものでした。しかもそれだけにとどまらず、物語として描かれるのは、歳を取らない呪われた体を持ち、終わらない戦争を繰り返すという閉塞感の中、汚れた地上から飛び立って綺麗な空の中だけでしか生きられないと、空を愛し空に焦がれる少年少女たちの人間ドラマ。一度だけでは到底理解できないテーマばかりで、齧り付くようにパンフレットを読み、なんとか物語を読み解くための手がかりを探しました。原作の存在に思い至ってやっと全てを読んだのは高校生の頃だったでしょうか。映画よりさらに深く濃い物語にこれまたどっぷり浸かったのも良い思い出です。

 あの映画「スカイ・クロラ」の体験がその後の私の作品鑑賞の姿勢に大いに影響を与えているのは間違いありません。私は当時「スカイ・クロラ」という映画のほとんどを理解することができませんでした。しかしそこでわからなかったからと全てを破棄することもありませんでした。あの映画を鑑賞した時の、哀愁のような郷愁のような憧憬のような言語化しがたい感覚を、あのカオスな思いをずっと宝物のように持ち続けることにしたのです。「わからないならわからないままでいい。このピュアな思いだけをずっと覚えていよう」というこの姿勢により、私は自分の中のカオスにいろいろなものをしまうことができました。そして、時にそのカオスの中にいるもの同士が引き合い、反応を起こして新たな思考や感覚を生み出してくれることに気づいたのです。それはまるで日本神話に語られる、イザナギが混沌とした大地を矛でかき回して新たなものを生み出すような行いでした。

 「スカイ・クロラ」について、今では様々な言葉で語ることができます。登場人物たちの立場や世界観から物語を紐解くことも多少はできるようになりました。けれどあの思い出の中にある名状しがたくも快い感覚だけはまだ解き明かせないまま私の中のカオスに漂っています。きっとそれはこれからも私の中の深いところに残り続け、その快さのあまり、私は似たような感覚を得られる作品を探し続けるのでしょう。そこから生まれる何かを、私は楽しみに待っているのです。

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