離婚届に穴が空いた日


ちょうど一年前くらいになる。

僕は仕事の合間に美容室で髪を切っていて、妻は離婚届を取りに行くらしく、少し遠い市役所に出かけていたはずだった。美容師と何気ない話をするのも苦手な僕は、スマホを常に手にしていて、妻からの連絡がすぐ目に入った。


もう離婚が決まった相手であるとはいえ、血の気が引くのを感じた。夏の暑さとは似合わない悪寒が走る。同時に「俺は何を心配してるんだ?」という疑問も渦巻く。離婚のショックから心を守るなら今だと思ったのかもしれない。

それでも仕事を休んで病院に向かった。後悔はしたくないし、醜い自分もあまり見たくなかった。タクシーの中で、彼女が食べたいものをメッセージで尋ねる。こんな小さなやり取りは、いつ振りだろう。残り少ない時間、どう振る舞えばいいかも分からず、妻の機嫌を取ることを選んだ自分を許した。

病院にはすぐに着いた。妻の顔は試合後のボクサーみたいに所々腫れ上がって、痛々しさはあったけど、意識はハッキリしていた。一目で命に別状は無いことがわかった。

申し訳なさそうにしている妻は、痛みを我慢して早く帰りたがった。もう夫でなくなる相手に迷惑をかけている自分自身が嫌で仕方なかったり、その空間が耐えられなかったのかもしれない。看護師も戸惑う中、妻と二人で黙々と帰り支度を済ませた。

まず警察署に寄り、そこから自宅は近く、二人で歩いて帰った。美意識の高い妻が、傷だらけの顔を晒してでも、あえて徒歩を選んだ理由はわからない。


帰り道で色々な話をした。友人の手を借りながら駆け落ちしたこと、二人に縁のないこの土地に引っ越したこと、僕が体調を崩して入院していた時のこと。他愛のない話を久しぶりにした。笑うたびに顔が痛いといってまた笑う。こんな笑顔の妻も、暑い帰り道も久しぶりだった。



自宅に着くと妻は離婚届を見せてくれた。
事故の接触で、書類は真ん中から引き裂かれていた。



何かの運命かもしれない。本当にそう思った。

妻は「面白いから(写真)送っといて」と言った。
もしかしたら、まだ頑張れるかもしれない。



僕の記憶はここで途絶えている。


その数週間後、新しい離婚届は無事に手元にきた。そのあとむちゃくちゃ離婚した。これが現実だ。

でも、あの帰り道が僕らの結婚生活の全てだったような気もしてくる。彼女にとっては、事故を起こして、大怪我をした嫌な一日だったのかもしれないけど、最後に見た笑顔は一生忘れない。

これから毎年、夏が近づく度に、この日が美しくなっていく。それが歳を取るということなんだろう。


ずっと真夜中でいいのに。『あいつら全員同窓会』mv (zutomayo - inside joke)


【寄稿】放課後『離婚届に穴が空いた日』より



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