ストリーミングライブの宣伝文句にキレ散らかしてた話
※こちらは2020年の夏に書いたはいいけど弱腰発動して公開できなかった記事です。以下のツイートでまたも怒髪衝天したんでちょっと書き直してアップします。
最近ずっとムカついてるウェブ上のコピーがある。
「観客は最前列でライブを観ているかのように楽しむことができる」
これはZoomを使ったリモステというサービスを紹介する記事にあった文言だ。演奏するアーティストの姿をリアルタイムで観られるだけでなく、視聴者の姿もウェブを通してアーティストに届けられるというサービスらしい(Zoom会議同様、アーティスト側の見ている画面が分割され、それぞれのコマに観客の顔が映し出される)。
モヤっている文言は次の文脈で語られていた。
「会場にはカメラを複数台設置し、観客は最前列でライブを見ているかのように楽しむことができる」
ライブに参加したことがある諸氏、行ってみたいがまだライブに行ったことがない諸氏はこう思うのではないだろうか。「おいおい、複数台のカメラが入ってるライブを観ただけで最前に立ってる気になれるわけないんだが????????????」
家でMステを観ながら、観覧客の嬌声を歯噛みして聴いた経験は、どこのバンギャにもジャニオタにも一度や二度はあるだろう。
コロナウイルス感染拡大の影響によってストリーミングライブがたくさん配信しているためか、この手のコピーに出くわす機会が結構ある。はじめてこのコピーと遭遇した時にわたしが考えたのは、
「え? ライブ行ったことある???」だった。
ライブに行ったことなくたってライブに関するテキストは書けるし、書いたっていい。政治記者は政治家じゃないとなれないとか、バンド経験者しか音楽ライターになれないとか、宇宙人から侵略されたことがないとそういう映画は撮っちゃダメとか、そんな道理はどこにもない。
でも、だ。
「会場にはカメラを複数台設置し、観客は最前列でライブを見ているかのように楽しむことができる」
というコピーには、ライブ行ったことある? と、ならざるを得ない。あるいは、本当にそれリサーチして確認した? と。
これに類するコピーをはじめて耳にしたのはつい最近のことだ。ネットTVのCMで、アーティストのストリーミングライブの番宣だった。
奇しくも自分の推しのストリーミングライブが開催され、ありがたさを噛みしめながらも「やっぱりライブハウスに行きてえなあ」と、欲求不満がじわじわとチリツモしていた頃だった。
「まるで最前列で観ているかのようにライブを楽しめます」
別にいいのだ。コンサートを配信するからにはかかったコストを回収しなければならない。そのためにはより多くの視聴者に観てもらわないといけない。アーティストだってスタッフだってそれは同じだろう。誰もが霞を食っては生きられない。銭がいる。だから課金してくれる視聴者の興味をそそるようなコピーは必要だろう。
そして実際にストリーミングライブがライブハウスやコンサート会場の最前列とはまったく違うということは、誰よりもわたし達のような普段からライブに行っている者こそが知っている。
だって自宅にはステージなんかないのだ。柵も、隣り合わせに立っている自分以外の客も、アンコール前に回って来るペットボトルもない。クライマックスで飛ばされた銀テープが後方をめがけすぎててむしろ取れないなんてこともないし、ダイバーが飛んできて顔面を蹴られることもない。そして演奏と歓声が混ざって出来上がった爆音に体中をビリビリ揺るがされて「あ~~たまんね~~~」と、なることもない。
ここまで考えると出てくる疑問は、ストリーミングライブを視聴することで会場の最前列で観ているように楽しめる「楽しみ」ってなんのことなんだろうということだ。
コロナパンデミック以降、客が現場に足を運ぶ従来の方式でのライブは困難になった。大入りのライブハウスでモッシュだダイブだウォールオブデスだなんてもってのほかで、それだけでなく客席ありの大きな会場のコンサートもできなくなっていった。様々なアーティストや主催者がリアルタイムの映像配信技術を活用してストリーミングライブを開催してくれているのは、感謝しかない。これまでコンサートに行ったことがないひとや、チケ運に恵まれなかったファンが、自宅でリアルタイムのライブを楽しめるのは素晴らしいことだ。わたしの推しもすでに4回ストリーミングライブを実施してくれた。ストリーミングライブが配信されることになんの異論もない。それを宣伝することにも。現時点で存在する技術で双方向コミュニケーションが取れる配信サービスを開発し提供するのだって素晴らしいことだ。
でも、だ。とにかく正確を期してほしい。胡乱なことを言わないでほしい。勝手な、テキトーな、雑なキャッチコピーをばらまかないでほしいのだ。
配信ライブで、カメラが至近距離で演者を映しているから最前列にいるようだと言ってしまえる想像力のなさに鳥肌が立つほど腹が立つ。ライブという場所で何が起きているのかまるで理解していないし、理解できないままにおためごかしの美辞麗句を並べられる不誠実さにうんざりする。
上にも書いたが、普段から好んでライブに行くような人種はストリーミングライブを視聴することと実際のライブ会場の最前列に立つこと(どころか、会場でライブに参加すること)が違うことくらい理解しているだろう。
一体、誰に向けたコピーなんだ?
ライブハウスやコンサート会場の最前列にいることと、画面にかじりついてストリーミングライブを視聴することが同じでないことくらい、ちょっと考えたら誰にだって分かることだ。テレビでMステを観てるからって番組の観覧席に座ってるわけじゃないのと一緒だ。あたりめえだろってなモンである。だから、わざわざ誰かがある程度の均質的な商業的効果を狙って書いた「本気で言ってるわけじゃない」コピー相手にムキになって腹を立ててるなんて、大人げないし馬鹿げているように見えるだろう。
大人げないように見えることを承知でもうひとつ言いたいのは「本気じゃねえコピーなんか書くんじゃねえよ」である(本気で思ってるかどうかは知る由もないのだが)。
とうか、そもそも違うものを「コレとアレは違うものである」と認識し、提示することは、そんなに難しいことか? 消費者に金を使ってもらうために「コレはまるでアレのようだ。だからアレの代わりにコレに金を使ってみよう」と書くほうがそりゃあラクだろう。「コレとアレは違うけどそれぞれに良い点がありまして、それは…」と説明するより文字数も少なくすむ。紙媒体なら誌面を食うことも防げる。
コロナの影響でライブハウスや音楽事業関係者が事業的、経済的に大打撃を受けたことは、音楽文化を愛好している者だけでなく多くのひと達が知るところだろう。膨大な数の公演が潰れ、業界全体で莫大な赤字が計上され、国や自治体からの補償では間に合わずクラウドファンディングが次から次に展開され、それでも閉店せざるを得なかったライブハウスもたくさんあった。
ストリーミングライブは苦肉の策だったはずだ。コンサートを会場で開催できない代わりにウェブで演奏の様子を配信しようという。
「同じよう」であるなら、多くのアーティストやファンや音楽関係者が切実に、それはもう身を切らんばかり切実に願う、従来の方式のコンサートの復活など、しなくたっていいじゃないか。家でネット繋いで観たらいいのだ。今時は視聴中におひねりを投げてアーティストに還元することも可能だ。グッズだって通販すれば快適である。会場警備員だって雇う必要はない。会場設営もコンパクトにすむだろう。だって客は家にいても会場にいるのと「同じように楽しめる」んだから。
違うのだから、違うと言わなきゃだめなんだ。それがたとえ、ウェブに数多あるリリース記事のほんの一節であっても。事実をごまかさずに伝えるための誠実な文言を考えて提供するのが、メディアや広告やライターの正しい姿勢なんじゃないのか。
少なくとも現在のウェブ配信技術を使ったストリーミングライブでは、「まるで最前列で観ているかのようにライブを楽しめ」はしないだろう。そこにある「楽しみ」は、ライブ会場で感じるものとは別物なのだ。別物だと認めるところからでないと、ストリーミングライブの良さを伝えることだってできやしない。
日本メディアには、「ストリーミングライブは、ライブ会場とはまた違った魅力があります」と書く、当たり前の誠実さと知性を持ってほしい。
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