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ミュージシャンは語るな...何それ?

 最近僕がよく思うことなんですけども、「ミュージシャンは哲学語るな」とか「話難しいからこの人嫌い」とかとんでもないこと言う人がやたらに目につくんですよね。正直そういうタイプのバカに発言権持たせる社会はマズイと思う派なんですが、今回はこのクソみたいな言説に一矢報いる...というかバカがムカつくのでいかにムカつくか書いてみたいと思います。

 もうなんかこの手の発言はいろいろクレイジーすぎてツッコミどころを見失いがち。まず、「難しいことを考えたくない」と「難しいこと考えないでほしい」は一緒くたに語ることは愚かというかそもそも同時に語れるものではありません。バカでいたい、その姿勢自体にはなんとも思いません。が、あまりにバカすぎて自分で世界を定義できないみたいなんですよね。

 音楽を直感とフェチズムで定義しているならあくまでもその態度を一貫するべきだと僕は思います。「なんかすき」と「なんかきらい」の世界ですな。自分の焦点をそこに合わせる生き方はアリだと思いますが、自分が好きなミュージシャン(に限った話ではないけれど)が必ずしもそういう生き方を選んでいるわけではない点を留意すべきです。

 「ぼくはなんかすきとなんかきらいの世界に生きてるけど、ぼくがすきな○○さんはロジックと複雑さ、難解なものに繰り返し挑む生き方をしている」。これだけですよ。バカなんでここまで言葉にできるかわかりませんが代わりに僕が書いたらこうなりました。で、問題はここから「こいつむかつくな」にダイレクトにつながることです。

 おかしくない?なんだそれは?いいじゃないですか、あなたが他人に自分の生き方を押し付けるような傲慢なバカとして生きてるんだから、あなたと同じようにその○○さんも勝手に生きていって何もおかしくないんです。そもそもそういうふうにあなたはこの世界を定義したんですよ。

 あなたはファインダーどころかアクリルガラス越しに○○さんを眺めているだけで一緒に酒飲みもしたことがない...端的に言って他人です。赤の他人です、真っ赤っか。そんな人が一方的にアクリル越しに見ている存在についてアレコレ指図したり生き方を定義したり...しかも!それに従わないと謎にキレ始める。厚かましすぎませんか?

 めちゃくちゃ他人任せ。都合のいいパーツだけ切り取ってエクスタシーを偽造しながら生きていけばよろしいのに、それすらもしないわけですね。まぁこれ自体もかなり今問題になってはいますが...。なにはともあれ勝手に自分が見ているだけの景色を誰かに強要させるのはいかがなもんかと思うわけです。

 もちろん○○さんとすべてを同期させるなんてどだい無理な話ですから、どちらにせよそれぞれ己のファインダーで見えたものの中で生きていくしかありません。しかしそれを踏まえたうえでどうやって自分の世界観を構築していくかが人生のカギだと僕は思っています。

 つまりVRゴーグルで見ている景色と今触っているものは違うんだ、とわかることが大事で、VRゴーグルで花畑を歩いているのに歩いている感じがしない!これはおかしい!と叫ぶのはどう考えたってその人自身がおかしいよね、そんな話です。

 あと不思議なのは何かを理解できないときに自分がバカなのかも...と思うっていうルートをたどらないこと。さっきお前自分でバカだからって言ってたじゃん。バカなのに全然バカだって気づいてないじゃん。知識がないこと、それを開き直ることが「バカ」なんじゃなくて、それを自分自身が受け止められないことこそが真にバカであることの証左なんだよ。誰かの足を引っ張って「あいつもバカだ」って叫ぶとか、「理解できないのはお前のせいだ」とかその態度が「バカ」なの。

 そもそも匙を投げちゃってるんだから評価の回答権なんかないんです。せめてかしこぶりたいならそのクソしかでてこない汚い口を閉じれば今よりはかしこくなれます。軽々しくだれかを評価し、自分だけのフレームにぶちこむ昭和スタイルはやめませんか?もうすぐ平成、終わるんですよ。


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