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僕とドラムと時々ドラム

このnoteをお読みの皆さん、
僕はなぜドラマーなのでしょうか?
(知らんがな)

気付いたらドラムを叩いてました。
そんなこんなでもう8年くらい叩いてます。
きっかけはほんの些細なことでした。

あれは忘れもしない中3の夏、、、
部活も引退してしまって暇を持て余していたんです。ええ、それが全ての始まりでした。

「母ちゃん、おれ、楽器やりたい」

などと言い出すもんですから、吹奏楽部出身のママンはもう目をキラキラさせて「夏の短期レッスンに行こう!」と僕を最寄りの島村楽器のドラムレッスンに連れていってくれました。

ここで、多少の人は気になったでしょう。
「なぜドラムなのか」

それを語ると僕の家庭環境が関わってくるんですけど、吹奏楽部出身のママンのおかげで僕は幼少の頃からミュージカルやら演奏会、音楽会にたくさん連れてかれました。
最初の衝撃はライオンキング(劇団四季)のパーカッションのおじさん達。
この人達はなんて楽しそうに打楽器を操るんだろうと子供ながらに目と耳が釘付けになったものです。もはや演者そっちのけで。

その結果、どんなバンドでもグループでもアンサンブルでもドラマーとかパーカッションの人たちに目が行ってしまったりで、「打楽器」に興味を持つのは自然な流れでした。


話は戻って計3回の夏の短期レッスン。
講師の先生はとっても親身になって僕にスティックの持ち方から教えてくれました。

初めて叩いた曲はB'zの「OCEAN」
8ビートが出来たことで、生まれて初めて曲を叩くということを知りました。

そして夏も終わるという頃、LYUHI少年は言いました。

「母ちゃん!おれ、ドラムやる!!」

はぁ甘酸っぱい。なんとも甘酸っぱい。
でもその甘酸っぱさのおかげで今の僕があります。ありがとう、8年前の僕。

それから中学卒業までその島村レッスンにお世話になりました。
そしてドラムをやると決意したとき、ママンはそこそこの投資をして僕に電子ドラムを与えてくれたのです。
そこからはもう狂ったように電ドラを叩きました。レッスンで基礎的なことを学んで、家に帰って復習&復習……僕の土台はこうして築かれました。
ちょうどその頃アニソンやボカロのヲタクになりかけていたので、初心者ながらそれらをぶっ叩いたりもしたものです(黒歴史)

地元を離れて県外の高校に行ったときは、泣く泣く実家に電ドラを置いてきながらも、やっぱりドラムを叩きたいと思い、迷わず軽音部に入部。

この高校3年間がまぁ濃かったです。
時の同級生たちの影響で、その頃は校内ライブとかでもパンクとか流行りの邦ロックとかのカバーをしてました。
ですがそれは表向きの話。
裏ではひたすらアニソンとボカロを叩き腐る立派なダメ系ドラマーでした。

本当に腐ってました。
平日はなかなか時間が取れませんでしたが、
土日は勝手に鍵を拝借してほぼほぼ部室に籠って叩き続けてました。
ドラムの基本的な練習をほとんどすっ飛ばして、そんなことばかりしていたので、僕のプレイはきっと一癖も二癖もあるはずです。

そんな高校時代を送ったせいである程度「ドラムを叩ける」ようにはなりました。

高校を卒業して仙台で社会人になってもやることは何ら変わらず、週末スタジオに行って研究を重ねながら色んなジャンルのアニソンとボカロを叩く。


そうやってちょっとずつ、ちょっとずつ、技術を身に付けていったのかなーと、今では思います。

そんなことばかりしてたら、あるとき後輩からセッションイベントに誘われることになるのですが、


それはまた、別のお話で。









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