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Mr Children 「ファスナー」〜歌詞感想を徒然と〜

2002年

誰もが一度は、ズボンやパーカーのファスナーに印字してある「YKK」の文字を目にしたことがあるであろう。
今日も徒然と感想を書くのは、そんなYKKでお馴染み、「ファスナー」というタイトルの曲である。


ちなみに、YKKは日本を本拠とする世界一のジッパーメーカーで、年間売上高100億ドル、世界市場シェア40%という目覚ましい業績を誇る。単体の料金は大したことないはずだが、塵も積もればうんたらかんたら。
 
この曲は、桜井和寿氏がスガシカオをイメージして作った曲である。
スガシカオの曲は有名な「夜空ノムコウ」に始まり、「アオゾラペダル」「Progress」など、お茶の間の人からしたら「あら、SMAPのアレ作った人。」「あら、プロフェッショナルのアレの人。」でお馴染みであろう。
が、しかし、実は、スガシカオは、愛情の綺麗じゃないところを言葉巧みに書くことでとても有名なのである。
代表的なものは1998年「あまい果実」
『あまい果実みたいに僕の中で熟しているんだ。滴り落ちそうなくらいに君への想いは溢れているのに』
「熟す」とか「滴る」とかエチエチな曲を書くときに使う表現と言っても過言ではない。
曲の盛り上がり方とか、ギターの音色が、ねっとりとまとわりつき、夏の夜のムッとした雰囲気を醸し出していてなんとも言えない曲である。そんな大人ちっくなスガシカオをイメージして作られたこの曲。
この曲が発表された当初、聴衆は実際に「え?これスガシカオ作じゃないの?」ってなったらしく、桜井さんのカメレオン的な要素が詰まった作品になっている。
 
曲構成は至ってシンプル。
曲を通してずっとリズムギターの一連のコードが後ろで繰り返される。それによって、昨今流行りのOfficial HIGE dan何とかの曲などによくみられる、「はい!今からサビだよ!Goodbye!」感があまり感じられず、むしろメリハリのない気怠いニュアンスが感じられる。しかし、歌詞を理解すれば、それが故意によるものなんだと気づかされるものになっている。
歌詞はとても文学的であり、さらに人間の本質を突く様な皮肉な表現が並ぶ。
『きっとウルトラマンのソレの様に、君の背中にもファスナーがついていて、僕の手の届かない闇の中で違う顔を誰かに見せているんだろう』
なんとまぁ。
誰もが友人の前、職場の同僚の前、様々な場面で臨機応変に対応するもの。そんなことを情事の始まり際の「ファスナー」から想像してしまう。更に、その「ファスナー」を下したリアルな姿に冷めてしまってすらいる主人公。
事の終わり、
『帰り際リビングで、僕が上げてやるファスナー。御座なりな優しさは今ひとつ精彩を欠くんだ。』
この表現!なんとも素晴らしい。「御座なり」とは「いい加減に物事を済ませること」。「精彩を欠く」とは「生き生きとした印象がないこと」。
ファスナーを挙げてあげるという、本来は素敵な優しさが主人公の冷めた感情によって、ただの「行為」になっている描写。最早、「ファスナーをあげること」ではなく、「sex」そのものが、ただの「行為」になっていることを表す表現。素晴らしいとは思いませんか。
2番の歌詞では
『きっと仮面ライダーのソレの様に、僕の背中にもファスナーがついていて、どこか心の奥の深い場所で目をはらして大声で泣きじゃくっているのかも』
主人公自身、色々な場面で色々な仮面を使い分けてきた故に、どれが自分本来なのかわからなくなってしまってる「かも」という表現。あくまでも「かも」で終わらせることでどんな効果があるのか、それこそ大衆の共感だと小生は考える。
「この主人公が特別に仮面を被ってるわけじゃなくて、みんなもそうでしょ?」
このテクニックこそMr Childrenの曲が国民的に人気な一つの要因であると考える。
小生はこれからも、しっかりと上げることにしよう。
惜しみない敬意と愛を込めてファスナーを。

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