[生と死と] 死の直面に際しての向き合い方 後編

いつもご覧頂きありがとうございます。

本日、私の叔父が息を引き取りました。

前回で投稿した内容がその通りとなってしまいました。

私も40を迎え、
人の死に直面するという機会が今後ますます増えていくことを思うと
今回の件を身をもって知りえたことは良かったと思いました。

今回の様に、

元気になったので少し外出した隙に
親の死に目に会えなかったという方が

周りにいたからです。

些細なことではありますが、

今回の内容を知ったことで
死に目に会えず、後悔するということが
なかったと

今後、一人でもいらっしゃれば幸いです。



※今回の内容は私、一個人の見解となります。

死を選ぶ選択肢があってもいいと思う


人生における生き死にと
お金について本来は切り離して考えるべきです、

現実は
生きると言うことは金もかかる

ということであり

個人に留まらず、それは結果的に国の財政を
圧迫していると言う事でもあります。


2024年現在、医療費は50兆円となっており
2050年度には90兆円まで膨らむと予想されております。


公的医療機関の全体の約7割の医療機関が赤字となっており
私立病院の約4割が赤字という試算も出ております。


病院が儲かった(儲かる)

と言う時代は一昔前の時代の話で
今は、タダでもいいから譲りたいという医療法人の理事長もいる時代です。

ここまでが社会全体のお金の話です。


死に際を選ぶこともまた人間の尊厳であり権利

今回、叔父の死に立ち会い

改めて、個人的に感じたことは

もし自分が死に直面し、
そのことを悟っている(死期が近い)としたなら

管に繋がれて、自然と死を待つより

安楽死させてほしい、かなと感じました。


息をするだけでも苦しい
寝ているだけでも苦しい

死が近いこともわかっている
家族も疲弊している

自分自身でもどうにもならない

だけれども、日本の法律で、死を選ぶと言うことは出来ません。


病院経営が実は苦しい という実態について書きましたが

病院を黒字にして、健全な運営をしていこうとなると

今の日本の医療構造では、ある意味、
倫理観がずれる側面もあります。


わかりやすく言い換えますと

既に自分が誰であるかもわからず
ただ生きながらえている人であって人でないという状態です。

医師をはじめとした医療従事者 の方々は
1日でも多く、その人の人生を延ばす為、
毎日現場で向き合われております。

その結果多くの命が救われておりますが
反面、先に記した様な矛盾も起きていることも、これもまた現実です。

あくまでも

もし私なら

というたらればで語らせて頂くと

私が私であるうちに、
家族と最後の瞬間を迎えたい

と思った。という事です。

医療の力で救われた結果、自分の意志とは無関係に
誰かの力を借りねばもはや不能な状態に陥り

それが何年も続き、家族も疲弊し
亡くなってくれて少しホッとしている

このような状態が万が一にも起きたとしたら
果たして、それが幸せなのか?

書いたように、1日延命がつづくごとにお金もまた減っていく(かかる)
という現実も襲いかかります。


自分自身で死に際を選ぶ選択肢があるということも
人間の尊厳の一つではなかろうか?

これは、社会的な医療費高騰の問題にも直結していく
問題だとご理解いただければ幸いです。



年金問題や医療費の問題は、若者の未来とは別問題

※あくまで個人的見解



様々な考えがあるということをご理解いただけると幸いです。


まもなく都知事選挙があります。


この様な、選挙が近づいてくると、

年金の専門家

というそれっぽい方がメディアに登場し

医療費負担の高騰は、老人を苦しめ

ひいては、今の若者たちへこの問題を引きずることになる


このような語り口でお話しされる方がおります。


※私個人の見解です


ほほぅ、

本当にそう思われますか?

人生80年が普通の時代になったとはいえ

年齢で言えば

今の40歳は一昔前の20−30歳で

60歳は40−50

75くらいを迎えたあたりでようやく、一昔前の60というのが
世間一般の認識かと思います。


その弊害が、

政治

経済

国力低下

回り回ってこの図式になり、

若者たちの将来とは、一見聞こえの良い大義ですが

今のじじばばの

今の瞬間のためであると言っても申し訳ありませんが

言い過ぎではありません。


なぜか?

今回の本題と逸れるため
一言でまとめますと

時代は変わるからです(廻る)


じじい、ばばあより

若者の方が遥かに苦しいんです。


これは前々回の投稿の内容にエビデンスとして投稿しております。


タンス預金110兆円

JAの預貯金108兆円

これは若者が溜め込んでるものでしょうか???

統計学上、
経済学上

いちいち細かなデータをもって来なくても
どの世代のものか

検討がつきます。

これが全てです。


この章で何を申し上げたかったか?
結論を述べますと


若者へ、後進へ

道を譲って上げませんか?


そういう気持ちにはなれませんか?

行動経済成長で、今の年配の皆さんは遥かに
いい時代を過ごして来たんです。

日本を作って来た、支えてきた

こういうお気持ちは理解できるし、感謝につきますが

既に一人当たりのGDPは韓国に2027年には抜かれるよそうです。

イェール大学教授?の成田氏が

年寄りが集団自決するしかない

この様にのべて物議醸しましたが
ある意味、間違ったことも言ってないです。

なぜなら、そのままほっといたら譲らないからです。

年をとれば取るほど。


人間とは欲深き生き物です。


徳川家康が人生訓として残した言葉を
本投稿のまとめとさせていただきます。

人の一生は重き荷を負うて
遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
心に望みおこらば
困窮し足る時を思い出すべし
堪忍は無事長久の基
怒りを敵と思え
勝つことばかり知りて
負くるを知らざれば害その身に至る
己を責めて人を責むるな
及ばざるは過ぎたるに勝れり

見ての通り、ですが


この人生訓で家康が一番説きたかったことは

腹八分

です。

常にお腹いっぱい

である必要はない

むしろ、少し足らないな
そう感じる程度の人生でよい、そういう教えです。

あの時代で80歳まで生きられた長寿の秘訣は
食事も常に腹八分を心がけたそうです。


私の言いたかったことが
伝わる人にだけ伝われば幸いです。

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