MIMMIのサーガあるいは年代記 ー3ー
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辛丑(かのと うし)九月
悲しみの七月と八月が過ぎ、死者の館とかしたお爺さんとお婆さんの大邸宅で、再び大きな悲鳴があがり、住人や近所の人たちを驚かすことになりました。悲鳴はまたも桃子の部屋からです。
ですが前回と違って、悲鳴の主は桃子本人のものでした。絹を引き裂くと、往々にして安易に比喩される悲鳴でなく、幼児特有のかん高い悲鳴です。例によってお爺さんとお婆さんをはじめとして大勢の使用人が、ロケットスターターのように駆けつけたことは言うまでもありません。
「大丈夫? 桃子! 何があったの?」やはり一番に尋ねたのはお婆さんです。
「尻尾が、ももこのしっぽが……」と舌足らずに言って、泣きわめくばかりです。
これを聞いてお爺さんは、嫌な予感がしました。尻尾が本当に生えたのか、”ち〇ぽ”がもう一本増えたかと想像するのはやむを得ないことでしょう。また同時に、大猿に変身した桃子に踏み潰されることが、救いの道だとも思っています。
お婆さんは、お爺さんほど考えず問いただすまでもなく、桃子のパジャマのズボンを思いっきり引き下げました。
……なんとなんと、あの薄汚い”ち〇ぽ”が消えて無くなっているではありませんか。
「しっぽが、ももこの尻尾がなくなっちゃった!」と、桃子はただただ嗚咽するばかりです。
お爺さんもお婆さんもことの次第が分かると、原因はどうであれ、喜びのあまりへなへなと座り込んでしまいました。子供部屋に集まった乳母をはじめとする使用人たちも喜びのあまり、万歳を三唱するしまつです。このような喜びのさなかで桃子だけは、鼻水を垂らして泣きはらした目をしてこの騒ぎに耳を覆いました。
お爺さんとお婆さん喜びも、いったん我にかえると、やはり深刻に懊悩します。桃子の”ち〇ぽ”が消えても、また生えてくるかもしれません。前兆なく生え、前兆なく消えたのですからいつなんどき再度生えてきてもおかしくないのです。それに原因が不明な以上、どう予防や対応をしたらいいのかもわかりません。ただ、原因の一つは桃子の特異体質にあることはたやすく想像できます。お爺さんもお婆さんも、「特異体質」という言葉を使ってあからさまには口にしませんが、桃子の出現方法からして彼女が普通の人類の幼児でないことは自明でした。宇宙人か、現生人類が超進化した者なのかもしれません。
桃子が「しっぽがなくなっちゃった」と言わなくなり、以前のようにただただ愛らしい姿を取り戻したころになって、お爺さんとお婆さんは一つの結論に到りました。
それは、遺伝子工学かなにかの最先端科学技術によって、桃子にもう”尻尾”が生えないようにすること。最高の現代医学によって桃子の身体を精密検査すること。この裏表の関係にある2点です。これを具体化するために、二人は有り余る資産を尽くして、桃子専用の医科大学とそれに付属する病院と研究所を早急に設置することにしました。もちろん、人材は世界最先端の研究者に医師とパラ・メディカル・スタッフ、それに世界に並びない設備が必要になります。その中には、半径10㎞くらいの大型放射光施設もはいっています。
二人はこれらを自宅の近くに建設しようと考えていました。桃子と二人が住む奈良県の某町近辺の丘陵地帯には、それくらの土地はあまっています。よしんば敷地が確保できないとしても、二人の財力にまかせて、住宅も市街地も農地も工場も強引に地上げして、更地にするつもりでした。すべては桃子のために許されるのです。
ここから、二人の人生というか考え方が少し変わってしまったのです。桃子の成長にも今後すこしばかり影響がでてくるでしょう。
医科大学と付属病院、研究所の設置は、二級官庁と呼ばれる某厚生労働省から許認可は簡単にはおりません。西淀川摂津工科大学を設立したときとは桁違いに煩雑で、紙書類の量も半端ではありません。申請書とその付属資料の膨大な山は、医学界、大学会、地元自治体・住民、それに政界を巻き込んだ複雑怪奇、魑魅魍魎な冥界に墜ち迷ってしまいました。二人が誇る世界的に希な財力をもってしてもたやすくできません。
しかたなく二人は新規設立をあきらめ、既存の医科単科大学を実質的にM&Aして、必要な追加設備と世界的に著名なその道の研究者、医師などをヘッドハンティングして集積しました。所在地は関東です。もちろん大型放射光施設はあきらめました。
この挫折は、お爺さんに財力だけでは解決できないことを体得させたのです。政治力が足りません。政治力が不可欠です。政界、官界、学会、地元自治体・住民を自在にコントロールできるダーティな政治力がなくては桃子を救えないと、考えたのです。
そのため、政界の黒幕・フィクサーになり、これらをコントロールしようと決意したのです。影響力をもつ有力政治家になるには長い年月が必要ですから、桃子の成長にすぐには間に合いません。あのおぞましい”尻尾”が、16、17歳のうら若い乙女に生えたら、と想像すると、いてもたってもおられず長い年月を待てません。
お爺さんは、100ドル紙幣をいっぱいに詰め込んだルイ・ヴィトンのケースを、山のように応接間に積み上げ、呼び出した政治家や官僚、財界の大物に無造作に投げ渡し、財力で人脈と影響力を築こうとしました。
こうして2年もすると、お爺さんはフィクサーとしてある程度の力を付けましたが、まだまだ足りません。
いろいろ考えた末、多彩で多様で、特殊な能力を持つ人材も多く集めて絶対的な影響力を持とうと計画しました。
この努力の甲斐あって、邸内では元気なお兄さんたちが、
「おらー! 迷惑もハローワークもあるかい!」
「だぼがぁぁ! どう落とし前つけるんじゃい」
「知らん仏より知っとる鬼の方がマシじゃけの」
「おぉ? 調子に乗るんもええ加減にせえよコラァ、ボケェ!」
などと、意気盛んに言い交わす活気ある小社会が邸内に出現しました。
まだそれだけで人材が足らない、強烈な影響力が必要だ、とお婆さんが言うので、メキシコの麻薬カルテルの中でも飛び抜けて著名なカルテル「ロス・セタス」の残党のなかから、リクルート先を探しているメキシコ国軍特殊部隊出身で極めて特殊な技能を身につけた人たちも二十人ばかり雇いました。
彼らは、国内の就職情報誌はもちろん欧米の傭兵専門情報誌にも決して求人も求職も載っていない技能の持ち主たちでしたが、アメリカの民間軍事会社は鼻もひっかけていませんでした。
このグループはとりわけ厳重に邸内の奥深くに隔離されて、来客や近隣住民の目に触れることはありませんでしたが、日頃は夜になるとこの大邸宅の警備を担当していました。彼らの本来の仕事が何であるか、賢明な諸姉諸兄(!)は「ドン・ウィンズロウ」の犯罪小説を読むまでもなく察しておられるでしょう。もちろんのこと、麻薬を扱うのではありません。
お爺さんとお婆さんは、こちら方面はとても厳しく禁止していて、「『ロス・セタス』のメンバーでも小便をもらして『早く殺してくれ!』と心底哀願するような結果になる」と、常々言い含めていましたから、誰も違反するようなことはありませんでしたとさ。
こうしてお爺さんとお婆さんの大邸宅内は賑やかになり、新しい”従業員”宿舎を二棟建て増し、敷地も広げ高いコンクリートの二重の塀もめぐらせました。もちろん塀の上にはコイル状有刺鉄線が、塀と塀の間は、草一本は生えぬように整地して対人地雷を埋めています。それに四周に監視塔と敷地のあちこちに防犯カメラと対人震動、赤外線などのセンサー群が取り巻いています。
一方で、桃子の教育の方はいたって順調でした。
こんな敷地内の騒々しさと隔絶した、高い塀で閉鎖され”従業員”立ち入り厳禁の一角で、代わり映えのない日々を送っています。
そろそろ幼稚園へいくお年頃ですが、お爺さんとお婆さんの英才教育が厳しく進んでいました。若い女性の優秀な家庭教師が幾人かつけられました。英語、中国語と理科関係はエリカが担当、フランス語、スペイン語と世界情勢・地理関係はオフィーリアが、国語と諸国の歴史・人文科学は橋本七海が受け持ちます。
音楽とバレエは、それぞれ国際的に活躍中の専門家を呼んで、教え込んでいましたが、この方面は桃子はあまり興味がないようで、しばしばむずがったり、個人授業から逃げ出して元気なお兄さんたちのところへ遊びに行ったりしてしまいました。
彼女三人は、教育だけでなく桃子の身辺警護にも責任を持っていて、敷地内の元気なお兄さんやメキシコ人たちが桃子に近寄るのも監視しています。 そうです、三人とも格闘技、個人戦闘術のエキスパートでもありました。
おもにこの三人に囲まれて桃子は生活し、三人によく馴れました。三人も実の娘か妹のように親しみます。
また、三人は桃子の優しさと聡明さにほとほと感服し、のちのちには三人とも桃子に心服するかけがえのない腹心になるのです。
彼女たちがどんな人物なのか、次の節ででもエリカを例にとって経歴や個人体験に言及してみましょう。
これからどこまで続くかわからないこのサガの中でも重要な位置を占めるキャラクターなのですから、予備知識があったほうがいいでしょう。
(つづく)
(参考)
「メキシコ麻薬戦争」 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3%E9%BA%BB%E8%96%AC%E6%88%A6%E4%BA%89
「ロス・セタス」 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%BF%E3%82%B9
※なお画像は、未来のエリカさま像