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時代遅れですが…、嫁ぐ俳句です。

女偏に家と書いて、「嫁ぐ」。

むかしの人は、女性が結婚することを「嫁ぐ」と言っていましたが、
今の感覚からすると、すごい言葉ですね。
結婚とは、家の女になること、ですから。
でもむかしの人の感覚では、これが「ふつう」だったんですね。

ある時代の人達にとって〝これって「ふつう」じゃん〟と思えることが、
ある一人の人にとってはちっとも「ふつう」じゃない場合、
窮屈だ、苦しい、と感じても、
「じゃあ、窮屈な生き方するの、やめよう」とまでは、
中々思いつかないものですよね。
毎日「いやだな~」と思ったり、
あとから、「あ~、損した」と思っても。

今日は別に、真面目な話をしたい訳ではないのです。

どの時代にもそれぞれに「美しい」と思える物はあって、
それが今の時代まで、ありがたいことに残っています。
ミュージアムに行けば、会えます。
映画や音楽もあります。
時代ごとの美の様式が、それらの中にはあります。

どの時代も、その時代の人たちにはそれぞれに窮屈だったはずで、
(窮屈に感じる対象や程度には、個人差があるでしょうが)
その窮屈さが、その時代の美の様式に含まれている場合も、あります。
含まれているというか、美の様式を構成する要素になっているというか。
一時代前の窮屈さが、あとの時代の人たちに用済みになった時、
一昔前の美の様式も、一旦は用済みにされるのでしょうね。

唐突ですが、俳句です。


嫁ぐのと告げふらここを立ち漕ぎす 梨鱗


「ふらここ」とは、ブランコのことで春の季語です。
時代設定は、モノクロ映画の頃です。
ほのかな思いを寄せ合っていた二人が、
どういう訳か、ほのかな関係を終わらせます。
女性はきもちに整理をつけた後、すくっと立ってブランコを漕ぎます。
主演女優は、原節子さんでお願いします。


叱られしのち兄嫁と見る蛍  梨鱗


こちらの弟さんは、あやういです。
家族の中で、お義姉さんだけが心のよりどころのようです。
「いつまでもふらふらしているな」という小言が成立していた時代の、
ふらふらしている弟さんです。

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