梶井基次郎の命日「檸檬忌」
3月24日は、「檸檬忌」だそうです。
短編小説「檸檬」の作者、梶井基次郎の命日に当たります。
歳時記(角川書店「俳句歳時記」第5版)をパラパラめくっていたら、
「春の忌日」というページがあって、
「檸檬忌」という言葉をはじめて知りました。
でも、「檸檬忌」を季語にした句は、載っていませんでした。
作りづらい題材なのかなあ?
ということで、作ってみました。
檸檬忌やつめたかりしは兄のこぶし 梨鱗
「檸檬」をむかし読んだのですが、印象に残っているのは、
主人公が手にした檸檬のひんやりとした感覚でした。
とても清冽な印象が、今でも残っています。
(「檸檬忌」を季語としてみるかどうか、となると専門的な話になると思います。3月の忌日だから春の句、ということで大目に見てください。)
句を作った後、久しぶりに「檸檬」を読んでみました。
印象に残っていたイメージとは全然違っていました。
記憶の中にあるより、グロテスクでした。
そう感じるのは、あくまでも僕の主観なので、
気にならない方には気にならないと思いますが。
主人公は肺尖カタル(肺結核)をわずらっています。
そのため、死をとても具体的にとらえています。
きっと、肺腑が裏返るような激しい咳や、
骨が砕かれるような痛みを経験したのではないでしょうか。
文章は無駄を省いてストイックです。
でも例えば、
「いけないのはその不吉な塊だ」だとか
「あんなに執拗(しつこ)かった憂鬱」だとかいう言葉に遭遇すると、
ストイックな文体のすき間から、
ドロリととろけた腐肉、みたいな物が見えてしまいました。
小説を読んだ後だったら、
「檸檬忌」も別のイメージの句になったと思います。
夢にみし手にくびらるる花の闇 梨鱗
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