見出し画像

スピッツ歌詞考察(第26回)月に帰る


【基本情報】

月に帰る
作詞:草野正宗 作曲:三輪徹也 編曲:スピッツ
4分25秒

<リリース日>
1991年3月25日(1stオリジナルアルバム「スピッツ」)

<収録アルバム>
スピッツ(1991年3月25日リリース 1stオリジナルアルバム)

<タイアップ>
フジテレビ系アニメ『ハチミツとクローバー』第22話挿入歌(2005年)

【MUSIC VIDEO】

【歌詞】

歌詞は下記のサイトでご確認いただけます。

【考察】

タイトルからして、まず「竹取物語」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
月は古より、うさぎが餅つきをしていたり、かぐや姫が住んでいるといった伝説があり、メルヘンチックなイメージがあります。
また、太陽の光の反射で夜空に輝くことで、太陽との対比(光と影)に使われたり、満ち欠けすることから、どこか儚く神秘的なイメージを与えます。
この曲の歌詞も、メルヘンチックかつ、神秘的かつ、儚さを感じるものになっているのでしょうか。

まず気になるのは、「真赤な月」と「黄色い月」と、“月”が2つ存在することです。
この歌詞を読み解くには、“月”が何のことで、“僕”と“君”がどういった関係なのか。
ここの考察に尽きるでしょう。

【考察①「死」その1】

太陽などの大きな星は通常、若いときに黄色く光り、年を取ると赤く光ります。
ということは、真赤な“僕”は祖父で、黄色い“君”は幼い孫、そして“月”は故郷のことと考えられます。
「湿った木箱」は、祖父が暮らす田舎のおうちです。
普段は別々に暮らしている幼い孫が遊びにきました。

祖父:「ここがどこだかわかるかい? おじいちゃんが生まれたところだよ」
孫 :「僕が生まれたところは○○だよ!」

このような会話が交わされ、二人はとても愉快に、そして綺麗な思い出となる時を過ごします。
お別れの時間となり、それぞれの“月”に帰ります。
祖父にとっては次回いつ会えるかわからないため、「もうさよならだよ」と名残惜しい様子です。
もしかしたら、生きているうちに会えることはもうないかもしれません。
そう感じて、“君”のことは忘れないと心に刻みます。

【考察②「死」その2】

考察①のような具体的な話ではなく、魂レベルの表現です。

「真赤な月」=あの世
「黄色い月」=この世

“僕”はあの世の魂、“君”はこの世の魂です。
人は輪廻転生を繰り返します。
「真赤な月」と「黄色い月」の両方が「生まれたところ」なのは、あの世でもこの世でも、同じ魂が存在するからです。
あの世の記憶はこの世にいる間は消えてしまうので、あの世とは「どこだろう」となっています。
そんな中、この世の魂とあの世の魂の意識が交差しました。
「もうさよならだよ」は、今まさにこの世で「死」を迎えている瞬間です。
「今日の日」は、この世に生きていたころの記憶です。
「君のことは忘れない」は、愉快な思い出や綺麗な思い出を持ったこの世の魂を忘れたくないという気持ちをあらわしています。

【考察③「性」 】

真赤は“僕”の性欲をあらわし、黄色は美しい“君”、そして“月”は生まれ出てきたところ(=性器)のことをあらわしています。

「真赤な月が呼ぶ」=“僕”の性欲が叫んでいる
「僕が生まれたところさ」=性器
「どこだろう」=探している様子
「黄色い月が呼ぶ」=美しい“君”に誘惑される
「君が生まれたところさ」=性器
「湿った木箱」=ラブホテルまたは風俗店
「ほどけた裸の糸」=服を脱ぎ捨てた様子

普段なかなか会うことができない“君”と二人きりの密室でめぐり逢えたことに悦びを感じつつも、別れの時間になって名残惜しいと感じています。

ロビンソン」や「三日月ロック その3」の考察でも書きましたが、草野氏の中でカドがある物はトゲトゲしく、生命力の象徴であり、“性”をあらわすと言われています。
一方、まるい物は“死”をあらわすと言われています。
この曲における「月」が、草野氏の中で真ん円な月をイメージしていたとしたらテーマは「死」で、三日月をイメージしていたとしたらテーマは「性」なのかもしれません。

(第25回)夢追い虫←PREV|NEXT→(第27回)愛のことば

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?