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スピッツ歌詞考察(第74回)あじさい通り


【基本情報】

あじさい通り
作詞:草野正宗 作曲:草野正宗 編曲:笹路正徳&スピッツ
5分14秒

<リリース日>
1995年9月20日(6thオリジナルアルバム「ハチミツ」)

<収録アルバム>
ハチミツ(1995年9月20日リリース 6thオリジナルアルバム)

【MUSIC VIDEO】

【歌詞】

歌詞は下記のサイトでご確認いただけます。

【考察】

雨 降り続くよあじさい通りを
カサささずに上向いて 走ってく
全部 ごちゃ混ぜにする水しぶき

「もうどうなったっていいや…」
そんな心境で、雨が降り続くあじさい通りを傘もささずに、上を向いて走っていく。
不安、期待、驚き、切なさ、悲しみ、虚しさ、焦燥、劣等感、嫉妬、後悔などの全てがごちゃ混ぜになった感情とともに、水しぶきが跳ねあがる。

いつも 笑われてるさえない毎日
でも あの娘だけは 光の粒を
ちょっとわけてくれた 明日の窓で
いつも笑い者にされて、さえない毎日を過ごしている。
でも“あの娘”だけは、明日も生きる意味を少しだけわけてくれた。

だから この雨あがれ あの娘の頬を照らせ ほら
涙の数など忘れて
変わらぬ時の流れ はみ出すために切り裂いて
今を手に入れる
自身の今の状況と重ね合わせて、この雨あがれと願う。
涙を流した日々のことなど忘れて、“あの娘”のハートを射止めてやれ。
過ぎ去った時は変えられないが、ここから抜け出す未来へと繋がる今を手に入れてやる。

愛と言うより ずっとまじめなジョークで
もっと 軽々と渡って行けたなら
嘘 重ねた記憶を巻き戻す
愛を語るよりもまじめに冗談を言えるような性格なら、もっと気軽に生きていけるのに。
ずっと本心を言えなかった記憶を思い返す。

だって 信じることは間抜けなゲームと
何度言い聞かせたか迷いの中で
ただ 重い扉押し続けてた
迷い、もがき、苦しむ中で、人を信じることは間抜けなことだと、何度も自分に言い聞かせていた。
でもそれは、無駄な努力にすぎなかった。

だから この雨あがれ あの娘の頬を照らせ ほら
寄せ集めた花 抱えて
名も無い街で一人 初めて夢を探すのさ
今を手に入れる
自身の今の状況と重ね合わせて、この雨あがれと願う。
寄せ集めた花をプレゼントして、“あの娘”のハートを射止めてやれ。
知らない街に一人で訪れ、追い求めた初めての夢をつかむための今を手に入れてやる。

だから この雨あがれ あの娘の頬を照らせ ほら
涙の数など忘れて
変わらぬ時の流れ はみ出すために切り裂いて
今を手に入れる
自身の今の状況と重ね合わせて、この雨あがれと願う。
涙を流した日々のことなど忘れて、“あの娘”のハートを射止めてやれ。
過ぎ去った時は変えられないが、ここから抜け出す未来へと繋がる今を手に入れてやる。

登場人物は、主人公と“あの娘”です。
「いつも笑われてるさえない毎日」とあるように、主人公は普段からいじられたり笑いのネタにされている冴えない男の子です。
二番の歌詞でも「初めて夢を探すのさ」とあるので、今まで女の子と付き合ったことがないのでしょう。
そんな憂鬱な日々の中で、唯一“あの娘”だけが生きる意味を見出せる存在です。
しかし主人公は、“あの娘”に好意を持っているにもかかわらず、今まで本当の気持ちを伝えることができませんでした。

「この雨あがれ」の雨は、梅雨の時期に降り続く雨と、主人公の心の中で降り続く雨という意味がかかっていますが、実は最初は、雨が降り続くあじさい通りを傘もささずに上向いて走っているのは“あの娘”ではないかと考察していました。
主語がはっきりしていないのと、「“あの娘”の頬を照らせ」に続くためです。
そうなると「この雨あがれ」の雨は、梅雨の時期に降り続く雨と、“あの娘”が流している涙のことで、「“あの娘”の頬を照らせ」は、太陽が出てきて雨に濡れた頬を乾かしてくれという意味と、“あの娘”が流した涙を乾かしてやれという意味がかかっていることになります。

しかしここはやはり、雨が降り続くよあじさい通りを傘もささずに上を向いて走っているのは主人公であると考察するほうが自然な気がしたので、「“あの娘”の頬を照らせ」は、「“あの娘”を笑顔にしてやれ」や「“あの娘”の頬が赤く染まるような存在になってやれ」といった意味合いであると解釈しました。

これらを実現するためには、自らの手で未来を切り開くしかありません。
時は巻き戻せませんが、今から未来は変えられます。
そんな今を手に入れるために必死でもがく主人公の心の成長を描いた、まるで恋愛小説のような雰囲気が漂う「生」がテーマの曲でした。

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