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過去からの声 ~ショートショート~

「――――くんが、昨日の夜、亡くなりました」
 珍しく定時に出社してきた飯島部長の言葉に、フロアが一瞬しんと静まり、それから大きくざわめいた。飯島部長は沈痛な面持ちで一同を見回している。
「本日18時から通夜で、明日が葬儀だそうです。こちらからは、遠藤社長とわたし、直属の上司にあたる丸井くんが列席します」
 他にも希望者がいれば名乗り出るように、と言葉は続いたが、ぼくはそんなの聞いちゃいなかった。社長がわざわざ、役職もついていない一般社員の葬儀に参列するか?

 ぼくと同じ疑問を抱いた人間も当然いるだろう。顔が強張った者が数名いたことを視界に捉える。そうなることも想定済みだったのか、飯島部長はどこか諦めたような表情で、ただそこに立っていた。

 いつの間にか朝礼が終わったフロアは一瞬で空気が変わり、いつも通りに仕事を始めることなんてできるはずなかった。
 ぼくは普段昼までは我慢する煙草を手に喫煙所へ向かう。オフィスビルの14階であるこのフロア一帯、ぼくの勤める会社が入っているから、喫煙所で他社の人間に会う心配はほとんどない。

「おい後藤」
 喫煙所の扉を開けるなり、同期の兼田が声をかけてきた。まだ煙草に火はついていない。ぼくは挨拶代わりに頷き、黒いアメリカンスピリットの箱から煙草を1本抜き出して、彫刻の入った銀のZippoで火をつけた。兼田は赤のマルボロにライターで火をつける。そのきつい匂いに一瞬顔をしかめたが、すぐにそんな場合ではないことを思い出した。
「おい、あいつ、」
 兼田の声は震えていた。それもそうだろう。まさかこんなことになるとは、だれも予想していなかったのだから。
 ぼくはちらりと外に目をやり、誰も来ないことを確認してから口を開いた。
「社長が葬儀に行くってことは、つまり会社に責任があるってことなのかな」
 アメスピは美味い。黒は特に香りがいい。それはこんな時でも変わらない。
「そんなの知らん。社員がそんなことになったなんて、今までなかったろ、理由も話してくれなかったし、」
 肺に入れてもいない煙をせわしく吐きだす兼田は、きょときょとと目を動かした。
「やっぱり、あれのせいかな……」
 呟くように漏らした言葉は、間違いなくぼくに向けられている。こいつはこれを話したくてここで待っていたのだ。
「しっ。だれが聞くか分からない。今夜話そう。仕事、何時に終わるんだ?」
 ぼくの問いに彼は目を見開いた。そうだよ、ぼくらは仕事をしないといけないんだよ、今から。
「え、えっと、最終アポが17時だから、18時には終わる」
 奇しくも通夜の開始時間だ。ぼくはそっと頬の裏を噛んだ。
「ぼくもそれくらいには帰れると思う。直帰にしろよ。いつもの駅で待ち合わせよう」
 兼田は目を見開いたままコクコクと頷いた。莫迦っぽい。けど同期なんだ。これくらい動揺するのは許されるだろう。
 許される?だれに?ぼくは内心自嘲した。ぼくらが許しを乞わないといけない人間は、もう向こうにいったあとだ。

◇◆◇◆

 その日、ぼくらは仕事をした。社内でなにがあったかなんて、取引先には関係ない。ぼくは他愛のないジョークに笑い、軽口をたたいた。まるっきりの日常。
 16時に帰社すると、飯島部長と丸井さんのホワイトボードには15時から外出で直帰だと書かれていた。

◇◆◇◆

 この季節の18時は、やや肌寒い。待ち合わせの駅で先に待っていた兼田は、スーツを着た亡霊のように真っ青な顔をしていた。そんな彼の肩を叩いて現実に呼び戻し、改札の反対側にある居酒屋に入る。チェーンの店だが個室がある。火曜日ということもあり、店は空いていた。
 とりあえず生中を2杯頼み、案内された掘り炬燵の個室で突き出しを食べた。もっとも食べているのはぼくだけで、兼田は手をつけていない。
 生中が運ばれてきたタイミングでつまみになりそうなものをいくつか頼み、兼田に乾杯を促した。
「兼田、とりあえずまず飲もう。な?」
 形だけジョッキを合わせ、飲んだ。ぼくは一気に半分。兼田はほんの一口。
「なんで、おまえはそんなに平気なんだ……?」
 その沈鬱な声に首を振る。
「スピードメニューを頼んでいるから、それが来るまで待て。話はそれからだ」
 今この状況で話を始めると、料理を運んできた店員に内容を聞かれかねない。そのリスクは彼も理解できたのだろう。まだ落ち込んだ表情のまま微かに頷いた。
 空いているだけあって、料理が運ばれてきたのは本当にすぐだった。店員が下がるのを兼田はじっと見つめ、ぼくがチャンジャ(好物なのだ)を咀嚼し終えたころに口を開いた。
「なあ後藤」
「うん?」
「あいつ、なにで、どうなって、ああなったんだろう、な」
「ああ」
 ぼくは冷ややっこに箸を伸ばした。
「自殺らしい。総務の女の子が言ってた。保険金とか労災とかの話で揉めてるって」
 兼田の顔がさらに青ざめる。ジョッキの中身は減らず、箸も箸袋にしまわれたままだ。
「おま、よく、そんな、聞いて、」
「同期だからな。特別に教えてくれたんだろう」
 言いながら、ぼくはとっておきの秘密を教えるようにひそめられた女の子の声を思い出していた。
――実はぁ、だれにも言うなって言われてるんですけどぉ、後藤さんは同期だし、心配してらっしゃるかなあと思いましてぇ。
 まだ二十歳そこそこの彼女にとって、この事件は日常の刺激に過ぎないようだ。こっちを見上げたぱっちりした目と制服を着ていても分かる大きい胸。あの子は近日中に抱けるだろうな。ちょっといいなと思ってたから楽しみだ。
 ぼくがそんな想像で楽しんでいる間に、兼田は頭を抱えていた。
「自分でなんて……っ。やっぱりあれのせいだろ……っ」
 ぼくはししゃもの頭を齧りながら、その様子を見た。
「だろうな。でなきゃ社長が葬儀に行くわけない」
 ぼくを見た兼田の目は真黒く沈んでいた。その目だけで、彼が何を考えているのか分かった。――次は自分の番だ。
「俺ら、どうしたらいいんだよ……」
 この会社であいつと同期だったのはぼくと兼田だけだ。だから『爆弾』を仕掛けられたのも、ぼくら3人だけだ。

◇◆◇◆

 ぼくたちの勤める会社は、石油に代わる新しいエネルギーを開発・提供することをメインの事業にしている。先日、入社1年が過ぎたぼくたちを集めた研修会があった。そこで聞いた話はひどく突拍子もないことで、それでもまぎれもない現実だった。
 この会社では10年に一度、入社した社員に『洗礼』を施す。その洗礼を受けた人間は、過去の時代からエネルギーを盗むことができる。会社はそれを保管・活用して利益を得る。
 次の人員が入社するまで10年、その『盗み』を続けなければならない。そして、ぼくたちが『業務』を果たせば果たすほど、会社は潤いこの国は衰退していく。
 ぼくたちは、先代の残した日報を読んだ。そこには延々とこの業務を呪う言葉が綴られていた。そして最後に明かされたのは、この『洗礼』を受けた人間の存在そのものが、過去の空間からエネルギーを奪いこの国を衰弱させているということ。

To be or not to be, that is the question.

 日報に綴られたその言葉の下。

Must DIE!!

 のたくったような文字の最後には赤い指紋が残されていた。それが血判というものだということは、無学なぼくにも分かった。
 彼らがどうなったのか、ぼくたちは知らない。
 確かなことはひとつ。過去からの声を拾ったせいで、あいつは死んだ。でも死んだのは今のところあいつだけで、ぼくも兼田もまだ、生きている。

 正しいかどうかなんて分からないが、ぼくは今日も、生を選ぶ。

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こちらの企画に参加させていただきました。
第一弾にも参加しています。記事はこちら
サトウ・レンさん、またまた素敵な企画をありがとうございます。


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