大学アンチだった私が大学院まで行った話-0:大学受験の失敗

高校の現代文の授業で、中島敦の『山月記』を読んだ。主人公の李徴は、私だった。

人生は何事をも為なさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡だったのだ。
中島敦『山月記』より。李徴自身による語り。

「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」と表現されたこれが、「あの国立大学に行きたい」と言いながら全く受験勉強をしない自分にぴったりと当てはまる。

「自分の能力なら、努力すれば叶う目標だ」という自負がありながら、「そうでなかったらどうしよう」と恐れ、努力を躊躇っていた。

あまりにも耳が、心が痛かった。


勉強しなかったのは、その恐れのためばかりではない。

私は数学が嫌いだった。一方で、生物が好きだった。

生物を学べる大学に入るには、数学の試験をクリアしなければならない。

私にはそれが苦痛だった。

それでも、母は言う。

「あなたは生物をやらなきゃ後悔する」と。

そんなのわからないじゃないか。

でも、わからないからこそ、人生の先輩たる母の言葉には重みがあった。

私は、数学から逃れて文系受験をしたい自身の思いと、その選択を支持しない母の意見との間で、ずっと板挟みになっていた。

結局、数学の勉強をすることも、文系科目の勉強をすることもなく、あっという間に試験の日を迎えた。


第一志望は、某国立大学の理学部、生物系の学科。

センター試験は、

「今年の数学、そんなに難しかった?」

と担任が驚くほど悲惨な点数だった(数IAは40点台、ⅡBは20点台)。

結果は自明だろう。


他に私立大学で1校だけ、「生態学」を名に冠した研究室を抱える、森林系の学科を受験した。

どうでもよすぎて、前期入試は出願先の学科を間違え、後期入試は試験に遅刻して行ったくらいだったが、数学のいらないセンター試験利用入試(後期)で合格した。

母は「浪人してもいい」と言ったが、浪人したところで勉強する気にはならないだろうと考え、この大学に入った。


これが、絶望の始まりだった。

(つづく)

お読みいただきありがとうございます。みなさまからのスキ等が何よりの励みです。今後ともよろしくお願いいたします。