大学アンチだった私が大学院まで行った話-1:絶望の大学生活

「大学ぼっち系YouTuber」なるものが、少し流行っていたらしい。

私は全く知らなかった。

なぜなら、ちょうどその頃、私自身が「大学ぼっち」だったからである。

ぼっちには、流行を教えてくれる友達がいない。

需要があることを知っていたら、私もYouTubeで何か発信したかったなぁ。


前回の記事に書いたように、入る大学をあまりにもテキトーに決めてしまった私。
入学式も、さして緊張していなかった気がする。あまり覚えていない。

高校の入学式は緊張した。

「友達はできるかな?」
「うまくやっていけるかな?」

さまざまな不安があった。

しかし、数日もすれば、「なんだ、こんなもんか」と、拍子抜けするほど楽しい日々が訪れた。

大学も、同じだろうと思った。

友達なんか、放っといても勝手にできるだろうし、そもそも大人なんだから浅く広い付き合いができればいい。
入りたいサークルもある程度決まっているから、悩む必要なんてないし。


甘かった。


最初に私の楽観を打ち砕いたのはサークルだった。

学科内で知り合った同級生たちと新歓を回ったが、1ミリも趣味志向が合わない。

私はアカペラをやりたかった。

Twitterで知り合った見ず知らずの女の子と2人で、アカペラサークルの体験会に行った。

私は楽しかったが、彼女は、アカペラサークルより合唱部に心が傾いたらしい。

1人で行った次の新歓で、私はこのサークルの現実を突きつけられる。


陽キャだったのだ。


そもそもアカペラサークルなのにボウリングで新歓をするあたりで気づくべきだった。

メイクもオシャレもする気のない芋女の私になど、誰も、一切目もくれなかった。

この一件で、だいぶ心が折れた。


その後、野生動物研究会の新歓にも行ってみた。1人で。

そこは陽キャとはかけ離れた世界。

いわゆる"生き物オタク"の熱に、私は圧倒された。

もう怖い。陽キャだろうとオタクだろうとすべてが怖い。1人で立ち向かうのが怖い。

あとから思えば、陽キャ集団より明らかに居心地の良さそうなこのサークルにさえ、私は入る勇気を失くしていた。

結局、どこにも入れなかった。


とはいえ、学生の本分は勉強だ。
私は生態学をやりたくてこの大学に来たのだ。

しかし、その思いも見事に打ち砕かれる。

森林系の学科の必修科目は、その内容が多岐に渡る。

生態学や生理学の他に、化学、工学・物理学、さらには経営学や政策学まで。
「森林」「林業」「木材」等が科目名についていれば何でもアリ。

私にとって、それは地獄だった。

私は、木材にも林業にも、一切の興味がなかった。
森に生える木を"生き物"ではなく"資源"とみなし、森林を構成するその他の要素は無視、あるいは"邪魔者"としか扱わないそれらの学問の話を聞いていると、苛立ちすら覚える。

そういった科目が必修であることくらい、受験の前に調べておくのが当然だろう。
ヤケクソで入学校を選んだ過去の自分を恨む。


聞いていて苛立つような内容の講義。

ふと、教室を眺める。

そういえば、私はいつも1人で聞いている。

あれ?

あそこも、あそこも、数人で固まって、ときどきコソコソと話しながら座っている。

次の授業も、その次の授業も、教室が変わるだけで、眺めはまるで同じだ。

馬鹿馬鹿しい。
中学生じゃないんだから。

大学生にもなって、"友達グループ"を作らなきゃ行動できないのか?
幼稚な奴らだ。

私だって、知り合いとすれ違えば笑顔と挨拶くらいは交わす。

だけど、どの"グループ"に属することもなかった。


毎日、毎日、1時間半かけて1人で大学まで行き、1人で100人の教室に身を置いてつまらない話を聞き、誰とも会話することなく逃げるように1人で帰る。

そんな日々が、楽しいはずはない。

こうなると、もう何もかもが嫌だ。

古臭くて恥ずかしい慣習や文化、明治から成長しない教育理念。
他大学に比べ、一向に進まないDX。

大学が嫌い。行きたくない。

地獄のような日々だった。


好転が始まったきっかけは、コロナ禍である。

(つづく)

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