大学アンチだった私が大学院まで行った話-3.2:新たな人生のスタート
シリーズ最終回後編(完結編)です。
前編はこちら↓
人生の分岐点、
そう、大好きなQuizKnockの須貝さんがサイエンスコミュニケーターであることを知ったあの瞬間から遡ること、約1年半前、大学2年生のとき。
唯一好きだった教授の授業で、「サイエンスコミュニケーター」というものを初めて知った。
サイエンスコミュニケーターは、定義するのは難しいが、いわば、科学と社会、研究者と市民とを繋ぐ"橋渡し"のような存在である。
さかなクンやでんじろう先生などがわかりやすいだろうか(それだけではない、ということは強く言いたいが)。
幼少の頃から生き物や理科が好きで、だけど、研究職というよりは、もっと人と直接関わることを主とする仕事をしたかった私は、
「え、何その仕事めっちゃやりたかった…」
と、なぜか鼻から諦める前提の感想を抱いた。
「日本ではまだ専門職として確立されていない」という情報がそうさせたのかもしれない。
しかし、半年も経たないうちに私は再びサイエンスコミュニケーションと出会う。
3年生後期の履修決めで、
「サイエンスコミュニケーション論」
という科目が目についたのだ。
他キャンパスだったが、コロナ禍で始まった遠隔授業のおかげで、足を運ばなくても受講することができる。
コロナ禍でなければ、他キャンパスの授業リストに目を向けることすらしなかっただろう。不思議な縁だ。
興味本位で、この「サイエンスコミュニケーション論」を履修した。
するとどうだろう。授業も課題も、とても楽しくこなすことができる。
最終的には、ありがたいことに、評価は最高の「S」をいただいた。シンプルに嬉しかった。自信にもなったと思う。
そう、実は私は、自覚がなかっただけで、サイエンスコミュニケーションとやらが好きだったのだ。
そして、授業を通じて、今の日本社会に必要なものだとも感じた。
ただ、私も夢を追いかけていいのだということを、すっかり失念していただけ。
本当は私も、須貝さんみたいになりたいんだ。
須貝さんの言葉と姿が、私の目を覚まさせた。
当時、大学3年生から4年生に上がる春休み。
自分が本当にやりたかったことに気づいた私は、早速、サイエンスコミュニケーターになるべく、情報を収集する。
一般に、サイエンスコミュニケーターとして活躍しているのは、修士以上の人たちらしい。
修士になるには、大学院。
私は就職活動をきっぱりとやめ、大学院入試の勉強に取りかかった。
確かに、研究者と市民を繋げるなら、研究者の立場もある程度知っておく必要があると思った。
指導教授も、「向いてるかもね」と背中を押してくれた。
毎日研究室に通って、院試の対策、卒論、授業に取り組む。
忙しいのは嫌いだったはずなのに、なぜだかとても楽しかった。
夏の試験に、晴れて合格。
今年の4月から、無事に大学院生になることができた。
私は今も、サイエンスコミュニケーターになる夢を追っている。
もちろん、楽な道のりではない。
文系の女子大学院生という稀有な1人の一般人としての苦悩のお話は、また別の機会に。
(終)
お読みいただきありがとうございます。みなさまからのスキ等が何よりの励みです。今後ともよろしくお願いいたします。