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出会っただけですべての情報は共有されているのかもしれない

先日、1年前に亡くなった知人の、没後1周年イベントにオンラインで参加した。

彼、水城ゆうさんは仲間に見守られて、さいごの期間を生きて、去っていった。その期間の様子は、こちらに詳しいのでぜひ読んでほしい。

2020年の夏は、私は人生初のクラウドファンディング真っ最中だった。
上記の「実況」があがってくるのをSNSで待ち構え、貪るように読みながら、葛藤していた。電車で1時間もせずに行ける距離にいる自分は、駆けつけて何か手伝う「べき」なのか。彼に一目会うことが「したい」のか。楽しそう(⁉)な【見守りフェス】に参加・含まれることが「したい」のか。ざわざわと波立つ自分の内側と、何度も対話した。

水城さんとは、実際には数えるほどしか会ったことがない。2009年に、私は初めてNVC(非暴力コミュニケーション。詳しくはこちら)と出会い、それから断続的に学び続けている、その輪の中に彼は居た。会場となることが多かった古民家「羽根木の家」で、彼はふらりと出たり入ったり、合宿でも「集団行動が苦手で」と言いながら自由をまとってそこに居た記憶がある。
作家で、音楽家で、絵も描いて、現代朗読というものをやっている人らしい。たぶん直接語りあうようなことはほぼしたことがない。挨拶をして、同じ場に居たことが、たぶん10年間で10回くらいだ。水城さんの書いたNVCの本を買った。商業作家をやめて、書きたいものをオンデマンドで出している、そういう人もいるんだ、と理解しきれないまま少し遠巻きに尊敬していた。
水城さんがピアノを弾いて、野々宮卯妙さんが朗読をするライブに行ったこともある。
羽根木の家で、参加型の小さなクリスマス音楽会(?)が行われたときにも、参加した。水城さんのピアノで、プロの歌い手である方も、何年も歌と取っ組み合って全然納得いく結果にはならなかった私も、同じ畳の上で賛美歌を歌った。あまりにも想像を超えて美しい夜になって、泣いた。

水城さんと直接あまり話せなかったのは、すべて見抜かれてしまいそうで、何を話したらいいかわからなかったからだ。嘘やごまかしのない自分でいることに、当時は本当に自信がなかった。

2020年の私は、国立で行われている見守りフェスに駆け付けたいと思う自分の中にどんな「本物さ」があるのかを聴く術を持っていた。罪悪感や見栄や反射で駆けつけるのではなく、
「クラウドファンディングに時間もエネルギーも注ぐことが、いまの私の命の使い方なのだ」
というところに落ち着いた。
大学受験を控えた実娘、高校受験を控えたゆるやかなシェアメイト、毎日お客さんを運ぶタクシードライバーの夫。誰がいつ感染症をもらっているかもわからず、病床の水城さんに私が運び込むかもしれず、移動や複数の人との交流によって家に持ち帰るかもわからず、助けになる働きができる自信も、水城さんとの個人的つながりも薄い。私は自分の持ち場を離れない決断をしたのだ。

そうこうするうちに、クラウドファンディングの最中に水城さんは旅立った。見守りフェスは、見送りフェスまでをやり遂げていた。
2021年の今年、見送りの様子を、録画で観た。すごいフェスだった。
2020年の私は、行かないと決めていたものの、心がざわざわチクチクとした。けれどもゆっくりその感情に向き合うことを選ばず、8月31日までの自分の「フェス」であるクラウドファンディングを全うした。

クラウドファンディングの間、日常にさまざまなトラブルが起こるたび、すべて「今はクラファンのことだけを考える時期だ」と自分に言い聞かせて通り抜けた。おかげさまでプロジェクトは目標を超えて達成した。ありがとうございます。

自分の選択に後悔もなく、矛盾もないが、そのあとの喪失、悼みのプロセスはなかなか進まなかった。さほど親しくない人の死を、私たちはどう受け入れたらいいのだろうか?しかも、実際に接した時間や空間は少なくとも、彼の存在はどうも私の深いところで気になっていたので、生きていたとしたらどこかでもっと深く関わるチャンスがあったのかもしれない?

そんな思いを持ちながら、ある雨上がりの日。フェスの間にも、日々息抜きに訪れていた近所の公園で、ふと傍らの木を見上げると「みずき」の文字が。まったくの偶然でみずきは木の名前にすぎないのだけど、なんだか、「あれライチさん(だっけ)?久しぶりだね」と水城さんに声をかけられたような気がした。

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そして、その直後、ああ、水城さんは、水になって蒸発して、雲になって、また雨になって落ちてきて、それを吸い上げた木になったり空気としてそこらじゅうに居てるんだな。という気づきがすとんとやってきて、いきなり私はくつろいだ。くよくよと考えることではないと思えた。

1年後の2021年、果たして、追悼イベントの中で、私はさらに驚く。
水城さんがファウンダーである現代朗読協会のメンバーのみなさんが、代わる代わる水城さんによるテキストを朗読する、というオンラインイベント。
そこで読まれた1編の作品が、まさに昨年の私にもたらされた気づきそのものだったのだ。
水城さんによるテキストはこちら。

たまげた。
これを読まないうちに、私はこの体験をしていたのだ。

水城さんは自身の死を体験する前に、このことを知っていたのだ。

水城さんはテキストを書き、私は読む前に彼と少しだけすれ違って存在しながら、でもこのことを共有してたのだ。不思議な、電気信号で。

一連の、10年余にわたる出来事の「意味」がす~~~~~~っとつながって、私は今、清々しい。
これまでもこれからも、たくさんの人と出会い、別れ、語り合い、語りつくせなかったり誤解が解けなかったりしたとしても、わたしたちはすべてのことを共有している。深いところで。本当は、わかりあっている。

ただ、生きているあいだは、時間や空間を共有することや触れ合うことや言葉を交わすことができる。それを楽しむのが生なんだな。
水城さん、ありがとう。









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