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理解されたいしされたくない '21/6/19~25

1年前の日記を部分的に引用し、それにコメントしていきます。
(1年前:理系修士2回生/現在:社会人1年目)

伊勢神宮

伊勢神宮に行ってきた。外宮はガラガラだったけど、内宮は結構人いた。
外宮にあったせんぐう館がボリュームすごくて笑った。リンクさせた2つの映像を左右で流す演出メチャクチャかっこよかったし、室内に外宮の建物の実寸大模型があって、デカすぎて笑った。菖蒲が綺麗に咲いていた。
外宮と内宮のバスが結構高くて腹立った。PITAPAのポストペイに慣れてしまったけど、旅行のときはチャージしておいた方が便利やな。小銭で手こずった。
内宮は境内広くてすごかった。普通の大きめの神社は、参道が森で圧をかけて、参拝するところで一気に開けて緩急をつけるけど、神宮は最後まで森だった。20年に一回も建て直せるから建物も装飾が少なく、シンプルさゆえの美しさがあって素晴らしかった。
門前町はにぎやかでよかった。修学旅行生の「地図読めへん」「俺、チーズなら食べれるで」に笑った。あほやろ。

20210619

伊勢神宮また行きたいな。
やっぱり、日本の数ある神社の中でも別格やもんな。
修学旅行生のやりとり、ホントにしょうもなくてよかったな。俺もあれぐらいの、しょうもなさを取り戻したい。
いや、やっぱり要らんわ。


自己肯定感

藤田ニコルが、若い人は嫌われても関係ないと思っている、と言っていた。なんていうか、最近は嫌われても関係ない自己肯定感の化け物と、好意を感じなければ満たされない化け物に二分されてきているのかな~と思う。

20210620

最近は嫌われても関係ない自己肯定感の化け物と、好意を感じなければ満たされない化け物への二分化。
自分はどうだろうか?

やはり、「いいね」が欲しい。認められたい。褒められたい。
まだまだ、好意を感じなければ満たされない化け物だ。

一方で、理解されなくてもいいと思っている節もある。
アンタごときに理解されてたまるか、という逆ギレ精神によって、自分の肯定を試みるときもある。

結局、別にみんなに好かれる必要はなくて、ほんの一部に理解してもらえたらそれでいいのだろう。
藤田ニコルも、母親は絶対に自分を守ってくれると言っていた。その一人がいるからこそ、他人に何を思われてもいいほどの強い自己肯定感を得られたのだろう。

僕は誰に認められたいのだろう?
一応の答えはある。自分が面白いと思っている人に認められたい。
本当にたぶん、それだけです。

まあ、それはそれとして、やはり知らない人からの「いいね」も気持ちいいので、この化け物のために、ハートマーク押してください~


対面授業再開

対面授業が再開して、人が多くてウザイ。

20210624

研究室配属されている人は、研究しに大学に来ていたけど、対面授業の再開で大量の学部生が学校に来るようになった。
その結果、これまでは14時くらいに売店に行っても大抵のものが残ってたのに、もう14時では商品がほとんど残ってなくて、めんどくさかったのを思い出した。

もう今は完全に対面授業で、サークル活動とかもできてるんかな。
人の多いキャンパスは鬱陶しいけど、キャンパスに来れない大学生活も気の毒やな。

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