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「児童養護施設出身」は、良いこと?

こんにちは、ヨウです。

今回は、「児童養護施設出身者」について書きたいと思います。


※今回の記事は、あくまで個人の意見です。


私”は”「児童養護施設出身」で良かったと思っている

私は、「児童養護施設出身」です。ただ、私自身は施設入所が高校生からだったので、ある意味「施設入所歴あり」ぐらいが正確でしょう。

私は、子どもだけで生活をして、親の体調悪化のサポートを一人で抱え続けていました。周りに頼るすべも知らず、大量服薬によって自殺しようとしたことがあります。それほど追い詰められていました。ですから、施設に入れたことが救いでしたし、施設に入れたからこそ今の自分がいると思っています。施設での生活は、私にとってはプラスの面が多かったのです。


また、社会的養護出身(児童養護施設、養育里親、自立援助ホーム)を対象とした支援金や就職応援金をくれる制度や団体があったことも、私にとってはプラスでした。貧困家庭だったため、おそらく、これがなかったら大学進学そのものが叶っていなかったでしょう。奨学金等の支援制度があったことは、大学進学を希望していた私にとっては非常に有難かったです。

施設での集団生活で嫌な思いもしてきましたが、総合すると、私にとって「施設出身」であることはかなりのプラスでした。


ただ、これはあくまで「私」という個人の意見に過ぎません。



「施設が嫌」な子もいる

施設出身といっても、施設に入所した経緯や理由、当事者が抱える苦境はそれぞれ違います。あくまで「親元を離れて施設で生活していた」というレベルでの共通点しかありません。

当然、施設には施設の目指すものがあります。施設の生活に合う人合わない人がいます。良かったと思える人もいれば、嫌だったと思う人もいます。全員が納得して入所したわけではありません。

当然のことながら、同じ施設出身だとしても、「施設には入れてよかった」と思えるにとばかりではありません。むしろ、「施設での生活は嫌だった」という人の方が(私の体感ではありますが)圧倒的に多いのです。


同じ施設の友達と、こんな会話をしたことがあります。

「ヨウは、施設に来れてよかったと思ってる?」
「俺は、家の生活がキツかったから、良かったと思ってるよ。」
「そっか。俺は早く施設、出たい。」
「なんで?」
「職員はウザいし、個人スペースなんてないし、携帯も持てないし。自由がなさすぎる。高校出たら、とっとと就職して一人暮らしして、自由に暮らしたい。」

私自身、施設に入ってそんな話を聞いて驚きました。私が救いの手だと思っていた人たちに対して、そんな感情を持っている人がいるのか、と。



施設は基本的に「望んで入るところ」ではない

施設の子どもたちは、虐待や貧困など、家庭や親が原因で施設に入所しています。一切、子どもたちに原因はありません。

そんな中、大人が用意した環境に放り込まれるわけです。だから、上手くいく子もいれば、上手くいかない子もいるのです。

施設には、実親の顔を知らない子もいます。虐待し粘着してくる親から逃げている子もいます。親が養育を放棄し、頼れる親せきが全くいない子もいます。親の疾患で一時的に施設で生活する子もいます。複雑な家庭事情があり、そして、「しょうがない事情」を子どもが引き受けているのです。



良し悪しは、個人との相性

人と人とに相性があるように、人間が運営している施設ですから、合う・合わないは、必ずあります。

学校、職場、家族、友人、上司、部下…。世の中には、「合わないけれど、関わらなければならない人」が少なからず存在します。

児童養護施設の子どもたちは、しょうがなく、入所しています。そこで合わない可能性も当然あります。それは、しょうがないことなのです。人と人とに相性があるように、児童養護施設を「良い」と捉えるか「悪い」と捉えるかは、相性に依存します。もはや理屈ではないのかもしれません。

また、「施設の仕組みに合わせてね」と子どもに強いることも、乱暴なのかもしれないな、と思っています。事実、施設には運営方針や仕組みがあり、それに合わせて子どもを養育します。それが、施設を経営するためには必要ですから。ただ、それに「子どもが無理して合わせる」のは違うのかな、と。


だからこそ、様々な形態の施設、いろんな養育里親家庭が必要です。受け皿が広げていくことが、子どもの選択肢を増やし、「合う場所」を見つけられるのではないか? と私は思っています。現実的ではないかもしれませんが、まず、子どもを受け入れることができる数を増やし、そこに多様性を持たせることが先決かと思っています。



終わりに ~「助けられているだけ羨ましい」という目~

私自身、他の施設出身者や虐待サバイバーという方と比べると、虐待のレベルは低いのかな? と思ってしまいます。比べることは良くありませんが、いろんな情報を得ると、余計にそんな気持ちが湧いてきてしまいます。

「私なんかより、この子を助けてあげてほしいな」「なぜ、私が施設に入れて、この子は入れないのだろう」と感じたことも少なくありません。

中には、「なんで私は救われなかったの?!」と、社会を恨んだり、施設出身者を妬む方もいるでしょう。ただ、事実として、「児童養護施設に救われたら、全て解決」でもないのです。


だから「施設は良い」「施設は悪い」という一般化は無意味で、「私は合わなかった」「私には必要だった」というように、個人の意見に落とし込んだ方がいいと思っています。

子どもは、社会の宝です。つらい経験をして、苦境を強いられた私たちだからこそ、「羨ましい」と嫉妬したり「きつかった」と文句を言い続けるばかりではいけません。いや、そういう不平不満を言うな、というわけではありませんよ。そういう負の感情は皆にあるのだから、言ってもいいんです。ただ、ある程度文句を言ったあと、「同じことを、今の子どもたちに経験して欲しくない!」というマインドで、自身の経験を語っていくことが大切だと、私は思っています。



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