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0.1%という数字 ~僕らはマイノリティ~

こんにちは、ヨウです。

今回は、あるデータをもとに、私の考えを書いていきたいと思います。


皆さんは、0.1%という数字を見て、何を想像しますか?


私は、あることが気になって、統計を調べて、この数字を導き出しました。多くの方に考えていただきたいことがあって、今回、このような記事にしました。一読いただければ幸いです。

※ただし、細かい資料については、ここでは提示しません。具体的な数値が気になる方は、ご自身で調べてみてください。



全国に約3万人いる、社会的養護の当事者

厚労省の統計によると、全国で児童養護施設等で生活をしている子どもは、約3万人いることが分かります。

今現在、親を頼れないがために、児童養護施設等で暮らす子どもは全国に沢山いることは、この数字から読み取れると思います。私も児童養護施設で暮らしていた人間です。初めてこのデータを目にした時、私と同じ経験をしている子どもたちがこれほどいることに驚きました。

また、児童相談所で勤務して、虐待に苦しむ子どもはこれ以上に存在するということも知りました。社会的養護を受けている子より、児相レベルで虐待認知される件数の方が圧倒的に多いのです。それほど、多くの子どもたちが「虐待」という社会的な問題に悩んでいるのです。


しかし、この人数は、本当に”多い”のでしょうか?


日本の20歳未満の子どもの人数

総務省統計局の令和2年7月のデータによると、現在、日本に住む20歳未満の子どもの数は、約2085万人です。

概数での計算になるのですが、小学校レベルの割り算を使うと、このようになります。

3万÷2085万=0.001438・・・≒0.1%

ざっくり計算しても、社会的養護を受ける子どもの数は、日本の子どもの約0.1%。1000人に1~2人くらいの割合なのです。

私の住む地方自治体では、大きい小学校であっても、全校児童は約500人です。地方になればなるほど、社会的養護の当事者と出会う確率はかなり低くなります。


この数字を見ると、社会的養護を受けている子どもは、日本全体を見ると比較的”少ない”ことが分かります。この数字を見ると、行政が社会的養護の当事者に支援することのメリットの少なさが分かると思います。



日本全体を考えた時

日本全国にいる2085万人の子どもたちを抱える日本が、最優先でするべきことは、何か。

私が国のお偉いさんになったと想像してみて、「子どもの福祉の担当責任者」になったと考えます。そうなると、まず「社会的養護」のようなマイノリティではなく、「子ども」という共通点を持った存在へのアプローチを考えます

子どもの人権や生活を保障するために、子どもにかかるお金を国が負担しよう、子どもの医療費を下げよう、保育園や幼稚園を増やして利用しやすくしよう…などと考えるでしょう。しかし、そこに「被虐待児」だったり「社会的養護当事者」といったマイノリティへのアプローチはなく、あくまで後付けで、「こういう配慮を足しておこう」と考えると思います。


少し想像しただけでも、このように考えることができてしまうのです。とどのつまり、国が「マイノリティ」に積極的に支援するとは思えないのです。全体を支える人は全体を見ます。一個人の意見には耳を傾けないでしょうし、声が届いたところで積極的に改善をするとは思えないのです。



私たち「当事者」は「発信する」しかない

ネットやSNSが普及したおかげで、どんな人でも個人の意見を世界に発信することができるようになりました。私はTwitterを中心に発信をしているのですが、そういう中でも、一個人の発言が多くの人の目に留まるようになりました。このようなツールで、私たちは、超マイノリティな世界の現状を社会に伝えることができるのです。

だったら、私たちは発信をするしかないのです。発信することで、私たちの存在をマジョリティの目に届かせ、マジョリティの意識を変えていくしかないのです。マジョリティの考え方が変われば、国も重たい腰を上げる可能性が上がります。こういったツールを使って世の中に発信することが、私たちの住む世界を変えるきっかけになるのです。



埋もれてしまう「情報」

一方で、多くの方が利用できるということは、それだけ私たちの発信も埋もれてしまいがちになってしまいます。

少し思い返してみてください。あなたは、2日前にバズった動画や情報を思い出すことはできますか?

SNSでは、短期間で爆発的に情報が拡散されることを「バズる」と言います。バズった時には、多くの人が目にして、時にはテレビで取り上げられることもあります。一個人の情報が、ある時話題になっても、あくまで一時的なものなので、2日もたてば、みんな忘れてしまいます。それは、毎日のように何かの情報がバズっているからです。毎日違う情報がバズり、私たちの脳を刺激するので、私たちは忘れてしまうのです。

「バズる情報」で氾濫しているSNSの世界では、埋もれてしまいます。私たちの悲惨な状況や大変だった過去は、バズったところで、社会に広まったところで、忘れられてしまうのです。




終わりに 〜伝え続けるためには、仲間が必要〜

これまでのまとめです。私のような「社会的養護の当事者」はマイノリティであって、そこに国や自治体が積極的に支援する可能性は低い。私たちは発信をするしかないが、情報で溢れている社会では、広まってもすぐに忘れられてしまうということです。


私は、家庭環境のせいで苦境に立たされている人を何人も見てきました。虐待、貧困、精神疾患、DV …。自分のせいではないのに、苦しい思いをする人を減らしたいと思っています。「社会的養護の当事者」となれば、私もその中の一人だったので、「何としても、そういう子を減らしたい」「苦しい思いをしてほしくない」と強く願います。

しかし、当事者たちへの支援は、私個人にはできません。正確に言うと、できることがあまりに少ないのです。マイノリティと言っても、総数は3万人。個人が何とかするにはレベルが高すぎます。だからNPO法人や支援団体が存在するのです。


社会的養護に救われた人間として、「どんな苦しい思いがあったか」を伝えるためには、やはり多くの人に「現状」を知らせる必要があります。そのためには、仲間が必要です。多くの「当事者」が集まって、SNSの波に流されない一枚岩になる必要があります。


同じ経験、同じ境遇で苦しんだ私たちが、手を取り合って、一丸となって、社会に向けて声を上げていきたい。そこに、賛同する人がいて、協力する人がいて、関係ないけど応援する人がいて、そういう”一枚岩”をSNSの世界に放りこみたい。私のささやかな願いです。みんながつながっていく。発信を広げていく。



少なくとも、私はそうしていきたいと思います。

そして私は、そのためにSNSがあると思っています。

間違っても、傷つけ合うためにあるものだとは思っていません。



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