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初めて書いた曲の話

こんにちは、ヨウです。


私は、音楽、特にフォークギターを弾いて歌うことが大好きです。そして、作曲も大好きです。そんな私の、「初めての作曲」についてお話しさせていただこうと思います。



私は、高3の後夜祭のために曲を書くことにしました。どんな曲をカバーするかを考えており、行き詰っていた相方に、「じゃあ、俺が作ろうか」と軽い気持ちで提案したことが始まりです。

これは、私が愛してやまないコブクロのお二人の「桜」という曲が生まれたきっかけと似ています。似た状況になった私は、ついつい、「じゃあ、俺作る」とカッコつけて言ってしまったのです。 



 


作曲ってどうやってするんだ?
そもそも、歌詞から作るのか?
メロディーから作るのか?


私は、作曲の”さ”の字も知らなかったのです。カッコつけた自分をぶん殴りたい気持ちでした。しかし、公言したからにはやり遂げなければなりません。 


私は、持っていたウォークマンに入っていた曲を片っ端から聞きまくりました。どんな歌詞がいいのか、どんなメロディーがいいのか、アーティストはどんな曲を作っているのか。参考になりそうなものを探しました。



アイディアが出ることはありませんでした。口ずさんだメロディーは誰かの曲に似ていて、思いついた歌詞は誰かの受け売りばかりでした。


メロディーってどうやってできるん?

 私は施設に戻り、ルーズリーフに歌詞を書こうとしましたが、白い紙が机の上に横たわっているだけで、何も進みません。 

 

おわった、、。

 

 悩みすぎて禿げそうで、もはや、何か言い訳を考えて「やっぱり、この曲良くない!?これやろうよ!」と違う曲を提案しようか とも思っていました。



そんなこんなで悩み続けた一晩でした。そして、次の日の数学の授業中のことです。

この時期、文系のクラスは、センター試験に向けて数Ⅱ・Bの復習が中心でした。数学が得意だった私は、授業の時間、とても退屈でした。先生が問題を解説している声を聴きながら、窓の外を眺めていました。

私は、窓際の後ろの方の席に座っており、公舎の3階から、正門のロータリーが見えていました。ロータリーの真ん中には大きな木が生えており、その大きさは、私のいる校舎の背を越えていました。

風に吹かれてバサバサと揺れる大樹。そこから、葉が舞い上がり、飛んで行く様子が見えました。



その時、ふと「これだ!」と思いました。正確に言うと、「この感じだ!」という何とも感覚としか言いようがない感触というか、手ごたえというか、感情というか、もはや理屈では追い付かない、湧き上がるものがありました。(正確に言えてない)

高校3年、風、木、葉、遠くへ飛ぶ、風に乗る、夢に向かって…


”旅立ち”だ!

 


そうして、数学のノートの1番最後のページに思いついた歌詞を書き殴りました。それを、施設に持ち帰って、ギターを手にしました。適当に気持ちの良いコードを抑えながら、歌詞の雰囲気に合わせてストロークをする。音楽の細かい理論などはわかりません。ただ、雰囲気だけを大事に歌いました。

そして、歌詞を書き直し、コードに合わせて歌う。書き直しては歌う。書き直して歌う…。ひたすらそのサイクルを、一週間、続けていました。

 


そうして私は、人生で初めて作詞作曲をしたのです。コンセプトを決めて、一曲仕上がるまで1週間もかかりました。


しかし、自分の作った曲を人前で歌うということを目の前にすると、怖くなりました。元々、人前に出ると緊張して手足が震えるような私でしたから、相方に歌って聞かせること自体が怖かったのです。

「何カッコつけてるの?」
「そんな曲、ありきたりじゃん。」
「それより、もっといい曲、あるよ。違うのにしようや。」

そんなことを言われてしまうのではないか。いや、相方はそんなことを言う友達ではないのですが、私の中のネガティブ悪魔が前面に出てきて「お前、そんなことで満足してんのか? どうせダメだろ?」と囁いてくるのです。


ああ、いやだあ…曲作るなんて、言わなきゃよかったあ…


そんなこんなで、休日、人気の少ない公園で相方と待ち合わせをして、私が作った曲をお披露目しました。

ルーズリーフに歌詞を書いて、その上にコードが書いてある紙。それを相方に渡して、必死で歌いました。もうやけくそです。公園には、今のところ、僕ら二人しかいません。極力恥ずかしい思いをしなくて済むタイミングは、今しかない!


そうして私は、初めて作った曲を、たった一人の観客(もとい、相方)に向けて歌ったのです。

 


風乗-かぜのり-

退屈な授業中 ノートの隅に落書きして
いろんなフレーズ  思い浮かんでは また消える
考えて 考えて 頭の中は言葉だらけ
嫌になって窓の外を見てみると 空が唄っていたよ

大きなクスノキが バサバサと
音を立てて 揺さぶられていた

東行きの風に乗って あの街へ旅立とう
たった1つ 願い乗せて 遠い街へ

バスの中 たくさんの 大きな人が乗っていて
ちっぽけな僕が 1人佇んでいるだけ
立ち止まり 見上げれば 青い空が雲で隠されて
薄暗い光が 僕の心を後ろ向きにさせるよ

希望なんてものは 小さいけど
それを目指せば 僕らは強くなる

南向きの窓から オレンジの光差す
窓を開けて 太陽を見た あの夕暮れ

故郷(ふるさと)に別れを告げて
出て行く覚悟も 出来ているさ
だから もう 遠い街へ
東行きの風に乗って さあ旅を始めよう
たった1つ 願い乗せて 希望の空へ

 

歌い切った後、恐る恐る相方の顔を見ました。相方は、私が書いたルーズリーフを見つめたまま、つぶやきました。

「これ、お前が作ったん?」

私が「そうだけど…」と言うと、相方は顔をあげて、こう言いました。

「いいやん。最高やん!聞いたことないわこの曲!すげえ!どうやって作ったん?いや、そもそも、たった1週間で作ったん?お前すげえわ!天才じゃん!これ、やろ!”風乗”、やろ!」


そうして、私たちは、文化祭でこの「風乗‐かぜのり‐」を披露したのでした。



その文化祭での状況は、こちら↓


追記

思い返せば、「作った曲を人前で披露する」という経験が、私を強くしてくれたように感じました。この曲は、自己表現が苦手でいつも他人の顔色を窺ってばかりだった私の人生を変える出来事でした。

私は、「人前で話すのが上手そう」「誰とでも仲良くなれそう」「メンタルが強そう」というありがたい言葉をいただくことが多いのですが、高校時代までの私を知っている人は、そんな私の姿を想像もできないでしょう。暗くて、真面目クンで、友達も少ない。コミュ力低くて、他人と距離感があって、自分のこともあまりしゃべらない、ちょっと不気味な存在だったんじゃないかと思います。

私は、この時の相方のおかげで、自分に自信を持つことができましたし、そして、今の私を育ててくれたのだと感じています。


相方とは、高校を出てから全く連絡を取っていません。どこで何をしているかも、良く知らない友達です。私は、高校時代、苦しい思いを続けてきました。そのせいか、高校時代の友達のほとんどに、施設にいたことを打ち明けていません。そんなこともあって、高校時代の友達に連絡を取ることが億劫になっています。もちろん、相方にも連絡を取っていません。当時の連絡先は知っているのですが、私なんかが連絡を取っていいものなのか、と思って未だに連絡をできずにいます。高校時代というものは、私にとっては黒歴史です。その中で唯一といっていいほど光り輝いている思い出が、この作曲をしたことでした。


もう一つだけ、小話をさせてください。本番前のリハーサルをしている時、たまたま通りかかった同級生が、私が作った歌詞を「おおきなくすのきがー」などとへらへら笑いながら、小馬鹿にしてきました。いや、そういうことって、あるじゃないですか。見も知らない作品を適当に茶化しちゃう感じ。あんな感じです。

で。その時相方は「どうや? いい曲やろ?」と言い返してくれました。私が自信をもってこの曲を歌えたのも、こうして自分が作曲した曲の思い出を綴ることができるのも、全て相方のおかげです。



長崎北高45回生のイトセ君。俺は、イトセのおかげで、強く生きるきっかけを持つことができたよ。ありがとう。

またどこかで出会ったら、また一緒に、「風乗‐かぜのり‐」歌おうな。




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