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「愛」って、なんだ

あなたは、「愛」について考えたことはありますか?


先日、私がツイキャスで配信をしていた時に、視聴者の方から質問のコメントが来ました。

愛って何だと思いますか

愛について思い付きでいろいろ話して、私がたどり着いた答えは

「愛は、積み重ねじゃないかな」

です。


でも、結局何なのか、よくわかりませんでした。そこで、ここでは「愛」について考察していきたいと思います。よろしくお願いします。



「愛」の定義

早速、インターネットで「愛とは」と検索してみました。

親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。「愛を注ぐ」
(性愛の対象として)特定の人をいとしいと思う心。互いに相手を慕う情。恋。「愛が芽生える」
ある物事を好み、大切に思う気持ち。「芸術に対する愛」
個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。「人類への愛」
キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと。→アガペー
仏教で、主として貪愛(とんあい)のこと。自我の欲望に根ざし解脱(げだつ)を妨げるもの。
[用法]愛・愛情――「親と子の愛(愛情)」「夫の妻に対する愛(愛情)」などでは、相通じて用いられる。◇「愛」は、「国家への愛」など、広く抽象的な対象にも向けられる。◇「愛情」は、主に肉親や恋人に対して用いられ、「幼なじみにあわい愛情を抱きはじめた」などという。◇類似の語に「情愛」がある。「情愛」は「愛情」と同じく肉親や恋人間の感情を表すが、「絶ちがたい母子の情愛」のように、「愛情」よりも思いやる心が具体的である。

デジタル大辞泉さんでは、このように書いています。

家族、恋愛、芸術やその他多くの事象を「大切に思う」感情のことのようです。なるほど、これは興味深いですね。


これらを総合して、「愛ってなんだ」を考えてみます。



「愛」は生まれるまでに時間がかかる

いろんな愛の形がありますが、大きな共通点として、その愛が生まれるまでに時間がかかるということが考えられます。

恋は「落ちる」とか「火が付く」とか表現します。瞬間的に湧き上がるようなイメージに感じます。

それに比べて、愛は「生まれる」「芽生える」みたいに表現します。何かが生まれる前には、必ず準備段階があります。子どもが生まれるのにも、赤ちゃんがおなかの中である程度大きくならないといけません。植物も、種から芽が出るまでに時間がかかります。芸術への愛についても同じです。あなたは、パッと見聞きした芸術を、一瞬で愛することことができますか? あるきっかけで、いろいろ調べたり、自分で表現したりするプロセスの中で、芸術を愛するようになるものですよね。

そう考えると、「愛が生まれるのには時間がかかる」と考えられます。



「愛を育(はぐく)む」という表現

そして、「愛」でよく使う表現は「育む」です。読んで字のごとく、愛は育てるものだということです。

子どもが生まれた、恋人ができた、芸術が大好きになった。そういったことが起きた後、あなたはそれを放置したままにしませんよね? 愛が生まれたら、そのあと一緒に過ごす時間が増えて、その経過で、愛が大きくなっていくものです。

時間をかけて生み出したものを、さらに時間をかけて育てていく。これが「愛」なのではないか、と感じています。



愛は、基本的に一方通行

しかし、愛は、必ず双方に生まれるかどうかは判りません。何かを大切に思う気持ちは、一方通行になることがあります。

親から子に対してもそうだし、子から親に対してもそうです。必ずしも、両方から愛をもらえるとは限りません。こちらが愛していても、愛してもらえない可能性もあります。

恋愛においても、一方通行になることが往々にしてありますよね。恋愛は片思いから始まるのが基本です。積み重ねた時間によって恋人関係になり、それが愛に変わることがある、というだけのことです。

芸術なんて、基本的に一方通行です。好きな作品やアーティストから愛される可能性は限りなくゼロに近いでしょう。


お互いに愛することができている状態というのは、珍しいことなのかもしれませんね。




愛には良し悪しがある

私が児相で働いていた時、「子どものことは大好きだけど、どうしても子育てが上手くいかない。思わずたたいてしまうことがある。」と相談を受けたことが何度もあります。また、親から虐待を受けていたにもかかわらず、親のことが大好きで仕方がない子どもとも、何度も出会ったことがあります。

長い間、共に過ごした時間があるだけで、そこに愛を感じてしまうこともあります。それは、積み重ねによって生まれた愛なのです。

もしかすると、暴力行為や、性行為によって愛を感じる人がいるかもしれません。それは、その行為の良し悪しにかかわらず、いままで積み重ねてきた経験や時間を「愛」だと捉えてしまっているということなのです。

長い時間を共に過ごした人との間に、友情や愛情のような”絆”が生まれることがあります。これが、「愛」の特性なのかもしれませんね。



結局、「愛」ってなんだ?

ここまで書いたうえで再度考えます。

「愛」ってなんだ

結局のところ、定義や概念で確定したものはないでしょう。


私にとっては、「愛」は「同じ時間を共有したことによって生まれる絆」だと思っています。

これは、結論でも正解でもありません。私という一個人の見解でしかないのです。



それでも人は、愛を求める

時間をかけて生まれ育つものなのに、一方通行で良し悪しもあるようなものです。その上、いろんな側面でとらえて、様々な人と話し合っても、結論は出ないような、抽象的で曖昧な概念です。

こんなもの、必要があるのでしょうか?「愛」って、必要なのでしょうか?


それでも私たちは、いつでも「愛」を求めます。本能的な何かが働いているのかもしれません。


私は普段、児童福祉や教育について学んでいます。虐待の被害を受けた子や、親から十分な愛情をもらうことができなかった人は、「愛」に飢えています。

私も例外なく、そういう人間です。誰かに愛されるために、自分の心を殺して、誰かの要求に応え続けてきました。そうすることで、誰かから認められて、愛してもらえる存在になろうと必死でした。しかし、それが間違いだと気づいたのは、良識ある人たちから「私らしさ」を認めてもらえるようになってからでした。人を愛することができるようになったのは、そういった「愛のカタチ」を教えてもらえたからかもしれません。

でも、それが正しいかどうかは、私自身にもわかりません。



皆さんにとっての「愛」って、何ですか?

結局のところ、結論は出ません。「愛」の定義なんて、人それぞれですから。私が考えた「愛」についても、賛否両論あることは間違いありません。


だからこそ、私はこの「愛」について考えました。


哲学的な内容かもしれませんが、こういう一般論で定義できないことについては、自分の中で考え尽くして答えを出すしかありません。

その答えは間違っているかもしれないし、正しいのかもしれません。それは、聞く人見る人によって変わります。


そこで、私が皆さんにお伝えできることは、「自分の答えを押し付けないで欲しい」ということです。答えは人それぞれなのだから、それに深く関与することはできません。自分の「愛」を押し付ける行為は、ある種偏見や固定観念を生み出します。

そうならないように、私たちは、答えのない問題について、考え続けていかなければなりません。



ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

そのうえで、再度お尋ねします。

「皆さんにとっての『愛』って、何ですか?」


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