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【Educcusionレポート】「違い」を楽しめる、そんな社会の縮図

「エデュカッション」は、ラーン・バイ・クリエイションのワークショップ・デザインチームが企画するオンライン教育会議。世代やハンディを超えて集まった人々が、同じひとつのテーマを巡って自由に語り合います。6月21日(日)に開かれた第3回のテーマは「道草」。EducussionにもLearn by Creationスタッフとしても初参加の大学生、黒澤季理さんがレポートしてくれました。日本、インド、イギリスと三カ国で学んだ経験を持つ黒澤さんが、運営側として何を感じたのか、その深い考察に、ぜひ触れてみてください。


「違い」を楽しめる、そんな社会の縮図

みなさん、はじめまして。今回のEducussionにスタッフとして初参加させていただいた、黒澤季理(きり)と申します。

この記事では僕の個人的な視点から、Educussionについて感じたことやそこから考えたことを“ざっくばらん”に書かせていただきます。
あえて、今回のテーマである「道草」について深く触れることはしませんが、その理由は最後に書きたいと思います。

海外大学生としての視点、スタッフとしての視点、そしてEducussion初参加者としての視点が混在した、まとまりのない文章になってしまっています。支離滅裂であったり、話があちらこちらへ飛んで行っています。
僕はそれをあえて整理せずにそのまま置いておきたいと思います。テーマも「道草」ですし、それがいい気がしているので。


それでは前置きはこれくらいに、まずEducussionという場について、僕は何を感じ何を考えたのかというところから始めていこうと思います。

Educussionは中学生から社会人まで多世代が集い、対話をし、互いに学びあう環境でした。

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初対面の人同士、多世代で、しかもオンライン。
この条件を聞くと、本当に中身のある対話や深い学びが生まれているのか、疑問に思われる方も多くて当然のことだと思います。

ですが、あの日、あの場で僕は予想をはるかに超える学びに出会えたと思っています。

下の世代の中学生や高校生たちからも、上の世代の社会人の方たちからも、同世代の大学生・大学院生からも、僕自身が多くの気づきをもらったし、また彼らもそれぞれの気づきを持ち帰ったように見えました。

Educussionではどうしてこのようなことが可能なのでしょうか。
僕は次のように考えます。

対話を始める前に「Educussion中に大切にしたいこと」というものをみんなで共有しています。
他者の声に耳を傾けること、自分とは異なる考えに出会ったときに否定をせずギフトだと思って受け入れること、ひとりが話しすぎないこと。
たったこの三つだけですが、これらが参加者の共通認識としてあることがEducussionの大きな肝なのだと思います。

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自分の考えが他者に受け入れてもらえる、そう信じることができる場。
よく、心理的安全性が確保されているなどと言われるのに近いような気がします。

そんなEducussionに参加させていただき、こうして振り返っていると新たな思考が生まれてきました。少し視座を上げて考えた時、今後の社会や教育のあり方を考えるうえで大切なヒントがあるように思えたのです。

僕が漠然と思い浮かべている理想的な社会の要素の一つに、「違いを受け入れて認め合える」ということがあります。

僕は今まで、日本、インド、イギリスという場所で学んできました。その中でことごとく突きつけられたのが、「違い」というものがこんなにも人々を分断してしまうということでした。
人種、性別、階級、身分、経済状況、政治志向、国籍、宗教、地域、ありとあらゆる「違い」が差別を生み、争いを起こしてきたんだと。

一方で、そういった「違い」をうまく活用して、異なる価値観や考え方から新たなイノベーションが生まれたり、手を取り合ってより豊かな社会を創り出すことも可能だと示してくれた先人たちもいます。
そして、僕はここに大きな価値と可能性を感じています。

だから、もっと多くの人が異なる考えを持つ他者と共に歩み、学びあうことができれば、今よりちょっとだけ良い社会が待っている気がするのです。
きっとみんなが互いの違いを楽しむことができたら、世界はもっと素敵な場所になると思います。

少し長く暑苦しくなってしまいましたが、つまり、Educussionも「違い」から学ぼうよという姿勢が一貫した場で素敵だったよ、ということです。
そして、僕はみなさんと一緒にこういった場を社会にどんどん増やしていきたいと思っています。

さて、冒頭で今回のテーマの「道草」についてはあえて触れないと書きましたが、その一番の理由は、中学生・高校生のボランティアライターさんたちが既にふか~い考察に溢れた記事やグラレコ を書いてくれているからです。

▲ 高校1年生ライターによるレポート
▲ 中学1年生ライターによるレポート
▲中学2年生によるグラフィックレコード


僕も気づいたら大学生になっていましたが、自分の中学・高校時代を振り返ると、あんなにも思考が豊かで、それらを文章やイラストを使って表現できる彼らをとてもとても尊敬してしまいます。
だからまだ彼らの作品をまだ知らない方がいたら、今すぐ見てきてほしい。きっと何かしら感じることや学ぶことがあると思います。

とはいえ「道草」をテーマに二時間半語り合ったイベントのレポートなので、僕もほんの少し「道草」について考えたことをみなさんに共有させていただきます。

僕はどうしても道草をすることが比較的許されている人たちしか今回のEducussionには参加していないだろうな、と考えてしまうのです。
いくら道草は人生をより豊かにしてくれると語り合っても、それはごく限られた一部の、言ってしまえば時間やお金に余裕のある人たちにしか届かないし響かないのではないか、そう考えてしまいます。

言い換えると、今日を生き抜くために全力を注がなくてはいけない人たちがいる、そのことを僕は忘れたくないし、みんなにも忘れてほしくない。

もしかしたらこれは、今回のテーマの「道草」とはまた別の話なのかもしれません。
ですが、僕は「道草」について語り合う中からこのような疑問を持った、ということなら十分関係ある話だと思うので、ここで書かせていただきました。

拙い文章でしたが、ここまで読んでくださったみなさん、本当にありがとうございます。

シェアしていただいたり、感想をコメント等で寄せていただけたら、とても嬉しく思います。

それではまたどこかでお会いしましょう。


文章
黒澤季理|Learn by Creation ワークショップ・チーム スタッフ



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