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あのジプニーに乗ってどこまでも。

アスファルトを突き破って生えた木が歩道を塞ぎ、道路を歩く僕を背突くようにクラクションが鳴る。腐ったゴミと排気ガスの混ざった空気が目に染みるここは、フィリピンの首都マニラのローカルが集うアーナイズ通りだ。昨日からもう30kmは歩いただろうか。潰した豆がヒリついていた足の指にもう感覚もない。熱帯モンスーンの気候はベルベットのように身体にまとわりついて、汗だくでマニラの町を彷徨う僕の体力を奪っていく。日本からたった4時間のこの街では全くと言っていいほど邦人を見かけない。日本からの便の乗客は全員セブ島に行ってしまったのだろうか、そんなことを考えながら歩いている僕の横を鉄が弾けるようなエンジン音を鳴らしたジープの改造車が次々に駆け抜けていく。派手な装飾とボロボロの車体が不釣り合いなこの乗り物はジプニーと呼ばれる乗り合いバスだ。車体の側面には行先らしき文字が書いてあるが、スマホで調べてもその場所がどこなのかわからない。一体あの車はどこへ行くんだろう。そうやってスマホを出してモタモタ調べている僕には目もくれず、小刻みなディーゼルエンジンの燃焼音はBGMとなってフェードアウトしていく。

バックパッカーなんていうものに憧れて旅をしたのは遠い昔のことように感じる。夢と希望をバッグに詰め込んで旅に夢中だったあの頃の自分はどこへ行ってしまったんだろうかというくらい、ここ数年は旅から遠ざかっていた。コロナ禍のパワーは凄まじく、あれだけ恋焦がれてやまなかった旅を僕から奪っていった。「ワクチンの規制が厳しいから」「PCR検査がめんどくさいから」「今は航空券が高いから」、そうやってやらない理由を探して諦観していた僕はすっかり心を蝕まれていたと思う。インターネットで旅行の予約をするという至極単純な一工程からも言い訳して逃げて悦に浸っていたんだと気付かされる。航空券を予約してしまえば、旅は始まるのに。

久しぶりに歩く東南アジアの町で、僕は少しずつ旅の記憶と興奮を手繰り寄せていく。雨上がりのパリの夜で見た石畳の美しさ、アムステルダムで泊まった監獄のようなホステル、ジョグジャカルタで会った子供達の屈託のない笑顔、どれもかけがえのない大事な思い出だった。どうしてこんな大事なことを忘れてしまっていたんだろう。歩き疲れて立ち寄ったショッピングセンターの階段の踊り場でふと外を見ると、地平線から太陽が消えていった。降り切らない帳と地平線の隙間には、この世の全ての美しさを凝縮したような鮮やかなオレンジが煌めく。今この瞬間の世界の美しさは、僕だけが知っている。人生のご褒美のようにすら感じるこの時間のために、僕は旅をしていたんだ。

真っ暗なマニラの夜道でも、ジプニーは走っていく。僕はスマホの電源を切った。どこへ行くかもわからない、真っ暗闇な車内ではどんな人がいるかもわからない、そんな不安を振り切って、僕は走り出したジプニーに掴まって乗りこむ。椅子に座る間もなくディーゼル車のエンジンの鼓動が僕の心臓を揺らして走り出す。鉄格子になった窓から吹き込むアジアの風が歩き疲れた僕の体を癒す。この道はどこまで続いているんだろう。僕はどこまでいけるんだろう。そんな期待と不安を掻き消すようにジプニーは唸り声を上げて、夜の静かなアーナイズ通りを一直線に走りつづけていく。

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