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人生観について

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仕事とは、働くとは、生きるとは、自分なりに思うところについて言語化してみてます。
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記事一覧

世界の果てまで行っても本当の自分なんて見つからない

昔、チリの南端から二週間の旅で150万円もかけて南極に行ったことがあるのだけどね。平均的で凡庸な自分が昔から嫌で嫌でしょうがなかった僕は、いつも自分の存在意義を証明するような誇りのような何かが欲しいと思っていて、その極めつけが南極に行くことだった。そんな稀少なマイルストーンがあればきっと自分も一目置かれる一角の人物になれるんじゃないかと信じて止まなかった、って感じで。だけど、現実は全然違った。「南極に行ったことがある」と自慢したところで「すごいね」と言われる程度で、自分自身も

「好きな人に幸せになってほしい」という原点に軸足を置くこと

「人を好きになって、街を好きになって、その人たちのために何かしたいという気持ちこそが、営業担当者としての矜持だなと思いました」 これは自分が10年前転勤するときにSNSへ投稿してた言葉のコピペで、すごく達観して偉そうな物言いにも見えるのだけど、今の自分にも強く根付いて大事にしている考え方だなあと改めて思う。 金融営業をやり始めたばかりの僕は、とにかく数字に追われてばかりで、目の前のお客さんのこともロクによく見ようともせず「借りてくれ借りてくれ」と言って客先をまわる日々

人の生き死にに寄り添えない会社なんてなくなってしまった方が良い

数年前、僕が家業に入ったときは本当に雰囲気が悪かった。例えば、僕は入社して数か月後に祖母が亡くなった時、当時はとても休めるような雰囲気もなくて悲しみに暮れる間もなく葬式だけ出てすぐにまた出社したのだけど、ご愁傷様とか、大変だったねとか、そういう労りの言葉をかけられることはほとんどなかったし、それどころか「ゆっくり休めただろう。」と吐き捨てるように言われる事まであった。いくら会社の雰囲気が悪いと言っても限界があるし、こんな人の尊厳を蔑ろにされるような場所でまともに働けるわけがな

「『案件処理』って表現おかしくない?」

という問いかけをされたことがある。時は2013年、浜松は肴町の居酒屋で先輩と飲んでいた時のことだ。当時の僕は金融マン二年目で、融資第一課という部署で窓口申込の審査担当をしていた。自分がいた浜松支店では各担当が月に30件程度の審査をして、融資の可否について稟議にあげるというのが日常業務になっていた。内容にもよるが30件というとなかなか負担が大きく、毎日相当なスピードで対応していないとあっという間に案件が溜まっていってしまう。案件が溜まれば審査スピードが落ちてクレームにも繋がりや

代表取締役に就任した僕がみんなと交わした一つの約束

先日、側島製罐株式会社の代表取締役に就任しました。3月初旬に「もう代表という肩の荷を下ろしたい」と先代からの強い要望もあり、父親が70歳になることや自分が家業に入って3年経過したことなどを鑑みて、このタイミングで自分が代表に就任することになりました。先代は取締役会長となり、ボードメンバーとしては残りつつ代表ではなくなります。 せっかく代表就任なので決意表明でも書くかなと思ったのですが、そちらは上記の通りプレスリリースを出してるので割愛して、今回は代表就任に際して、会社のみん

「自分の子供がもしセクシャルマイノリティだったら、正直嫌だな」

恥ずかしながらこれは8年くらい前に、僕の口から出た言葉です。 最近のニュースで政治に関わる方々がセクシャルマイノリティに対して「気持ち悪い」とか「近所にいてほしくない」とかって発言を拾われて炎上的なニュースになってるわけなのですが、自分も7,8年前までは同じような感性を持っていたような気がします。多分、最近のニュースで見え隠れする人の本音みたいなのに近いものだったと思うんですよね。リベラルぶって澄ましたような顔をしながら、実は腹の底では”普通”という感覚を持ち続けて理解には

老舗缶屋が世界を変える日を夢見て

note初投稿です。 元金融マンの僕が一念発起して実家の缶屋で事業承継を開始して1年ほど経つので、ここで改めて何をやってきたか棚卸をしつつ、自分の想いをつらつら書いていきたいと思います。 家業に入る前の経緯についてはグラフトプレナーの出川光さんが素晴らしい記事を纏めてくださったのでそちらをご覧いただけましたら幸甚です。 工場で1年間下積みをするつもりがいきなり計画変更 「全く畑違いの製造業に入るからにはまずは現場だろう」 という考えもあり、以下のようなスケジュールを立

「旅の記憶」という色褪せない資産

コロナ禍になり海外へ行けなくなってからかれこれ一年経ってしまいました。これまでの社会人生活、息継ぎするように旅をしてきたので、こうして長期間旅ができないというのは個人的にはかなり辛いところですが、ここで改めて旅の価値について考えてみたいと思います。 ここでは、「旅をして人生が変わった!」「本当の自分を旅で見つけた!」とか、そういう安い自己啓発みたいなことは書くつもりはないのですが、 ”旅は人生を豊かにする” というのが僕の結論です。 僕が旅したところ 先に手前の話を

「事務所の人間は現場に出て手伝うのが偉い」という空気は会社を衰退させる

先にエクスキューズしておくと、僕は会社で製造現場にも出ていなければ営業にも出ていない立場であり、今後そのいずれにも身を置いて理解を深めていく必要性は心の底から感じています。それでも、今後自分が会社を改革する中で誤解がないように、そしてこの記事が同様の悩みを抱える方の溜飲を下げる一助になれば幸いです。 役職や立場は役割分担のためにある まずタイトルの”「事務所の人間は現場に出て手伝うのが偉い」という空気”について考えてみたいと思います。 結論から言うと、個人的にはこれは経

前例踏襲という怠慢

「うちの会社は何で給料あがらないんですか?」 これは僕が去年の4月に親の会社に帰ってきた際に、社員の1人から言われた言葉です。詳しく話を聞いてみると、勤続してかなり長いのに、給料は上がるどころか下がっていて不満がある、とのことでした。 というわけで、ややプリミティブな話ではありますが、今回はなぜいつも通りの仕事をしているのに給料が上がらないのか、ということについて整理してみたいと思います。 現状維持は衰退 まず大前提として、今の時代はモノを作るという”作業”自体には大

「自分で可能性にキャップをするな」という教え

最近同僚と話している中で、自分の視点が大きく変わった話をしたので、改めてまとめてみたいと思います。 タイトルは、僕が過去に先輩から頂いた言葉で、僕がこれまでのキャリアでずっと大事にしてきたものです。今回は至らなかった自分の過去について赤裸々に話すとともに、この言葉の意味の重要性について書いてみます。 金融のプロとして最低だった自分に気付いた瞬間この言葉を先輩からもらった当時、僕は日本政策金融公庫の浜松支店から千葉支店に転勤してきたばかりでした。営業担当として配属され、まず

「働く幸せとは何か」という問い

今回は2021年の総括記事です。 2021年もあっという間に終わってしまいました。予定では2年目にはインフラ整備を完全に終わらせて3年目はいよいよ代表者交代に向けての準備期間と思っていましたが、一朝一夕にはいかずというところです。 とはいえ、今年も去年以上に挑戦を続けてきました。艱難辛苦の日々も振り返ってみれば良い思い出で、会社も自分も一年前と比べたら大きく変わることができたと思っています。 今回は総括記事としつつも、タイトルの通り「幸せに働くとはどういうことなのか」と

足し算的なマインドの大切さについて

たまには駄文雑記的に、頭の体操をしておこうと思うです。校正せず章分けもしないので石川の心の声そのままな感じになりますがご容赦のほど。 元金融マンの僕がこんなこと言うのも憚られるんですけど「利益をだすためには」「コスト削減の極意」「良い人材を獲るために」「組織改革のハウツー」とかっていう結果の目的化をしているものにひどく嫌悪感を抱く日々を送っています。公庫時代にはもちろんそういう話を色んな人としてきたわけだし、自分も実際融資をツールとした経営改善を提案してきた立場なのでおまい

いつかまたコービーブライアントに会えるその日まで

僕の人生の師は、2020年1月26日にヘリコプター事故で死んだ。僕はちょうど新しい職に就く前のモラトリアムを利用して、南極へ向かっているところだった。人生をかけた旅に出て夢を叶えること、その素晴らしさを教えてくれたコービーにその想いを伝えるべく、スーツケースに彼のユニフォームを詰め込んでいたあの日の高揚感は今でも忘れられない。南極でコービーのユニフォームを掲げて、彼に想いを伝えるんだと意気込んでいた。 訃報を聞いたのは、まさにその夢が叶わんとする前日のことだった。子供のころ