【手記#1】自己紹介と作品

こんにちは。

普段は短編小説を投稿しているのですが、軽く自己紹介をしてみようと思い、教授の目を盗んで液晶を叩いています。

名前は「牢村」と書きます。音読みで「ロウソン」と呼ばれることが多いですが、苗字っぽくするなら訓読みで「かたむら」ですね。決まった読み方はありません。というのも、この「牢村」という自称は、友人にもらった「ロム」という名前に合わせた重箱読みの当て字だからです。地元の片田舎らしい閉鎖感が割と気に入ったので、ユーザーネームに迷った時はよくこれを使います。「ロウソン」から1字除いて「烏孫(ウソン)」と名乗ることもありますが、こちらは古代中国の北方に存在したトルコ系と推定される遊牧民族の呼称です。特別な思い入れはありませんが、字の形が好きなのでたまに使います。僕という個が、異民族の多についた名を拝借するのも烏滸がましいとは自覚していますが、今のところ指を差されたことはありません。

さて、ここからは普段の投稿についての話をさせてください。僕の短編小説にはほぼすべて、知友によって与えられた「題」が2つずつ存在します。知友の作品にも僕が与えた「題」が2つずつ存在します。一方がひとつ作品を書き上げる度、もう一方が新たに「題」を2つ与え、次の作品を考えるというのが僕らの創作活動です。僕が文を編む時、これらをどう活かすか、どう絡めるかが常に難問として立ちはだかります。ただそっと登場させるだけでは勿体ないので、「題」がキーになる話を書きたいのです。「題」をもとに話を考えていると、どうしても発想が縛られてしまいがちです。それが2つもあるのですから、もう磔もいいところです。そのため、いかに「題」から飛躍するか、いかに「題」を処理するか、という頭の使い方も必要になります。僕は他人より賢くもなければ読書量が多いわけでもありません。ですから日常的に文学に触れている方からすれば、拙く読むに耐えない文を書いてしまっているような気がします。それでも、僕はこの創作が好きです。「題」を解析し、話を組み立て、何度も消しては書き直しながら、ついに最後の句点を置いた時、自分の世界が少し拡がったような気がするのです。

僕の作品は誰かに向けて書いたものでもなければ、強いメッセージを含んだものでもありません。強いて言えば、僕が僕のために書いているようなものです。しかし、誰かの目に触れ、面白いと思っていただけたなら、とても嬉しいです。

長くなってしまいましたね。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

牢村

追記(2024,4/2)
お久しぶりです。牢村です。
最近はめっきり文を書かなくなり、自分との対話と言えば、PCを睨んで音楽を打ち込む時間ばかりです。媒体は移ろってゆくけれど、創作は常に僕を僕たらしめる大切な要素であり続けています。作品に向き合うことで僕自身が縁取られ、先鋭化されていく感覚が、世界を拡大してくれるのです。時にそれが心を蝕んだとしても、僕は創作に生きることをやめられないのでしょう。生活がある程度落ち着いたら、noteもまた動かせたらいいなと思っています。季節の変わり目なので、どうか体調に気をつけてお過ごしください。

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