【短編】夙夜

  鳶が飛んでいる。橙色の空である。土埃臭い畦道を囃す虫たちにも、熱帯夜の気配が訪れていた。俺は来月、二〇歳になる。そんなことを考えた。なつかしさという感情は、不思議なものである。一昨日親指を捻った痣は、馬鹿らしく今も腫れてやがる。昔あんなに痛くて引っこ抜いた奥歯は、今はもうなんともない。昨日の朝何を食ったかもすぐ思い出せやしないのに、妙なことばかり覚えているものだ。流行り歌の薄っぺらい文言や、真っ赤になった親父の形相は、いつも思い出せる。同じ夢を何度も見る。夢のあらすじはぼんやりと霞んでいるくせに、また同じ夢を見たという自信だけが枕元にあるのだ。昔の自分を思い出そうとしても、決まってうまくいかない。俺はいつから俺なのか。そんな考えを持つ。今の半分くらいの背で鼻水を垂らしていた俺は、俺なのか。成長とは時に恐ろしい。今の俺には最早、あの時とそっくり変わらない考えを持つ事がかなわないのである。俺という連続体は、きっと何度か折りたたまれているに違いない。そんな考えに囚われた。二〇歳を迎える俺は、きっと来月折りたたまれるのだろう。しかしいつだって、この橙色はなつかしい。

二〇歳/夕日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?