生きづらさと向き合う ~場面緘黙症の私の場合~①-2

 場面緘黙症の私が何に苦しんでいたか、何を考えていたかを幼少期から順を追って掘り起こしていく。
 今回は小学生時代。

 話せない・動けない状態で保育園を卒園したが、小学校にも話すことを強要したりからかったりする人はほとんどいなかった。それは本当に恵まれていたと思う。ただ、場面緘黙症は時間の経過とともに自然と症状がなくなるようなものではないが、当時の校長は「おとなになったら、たくさん話せる人になるよ」と微笑んでいた。おそらく当時、誰も場面緘黙症という病名すら知らなかったのではないだろうか。
 しかし、校長先生の言葉を無邪気に信じ、「おとなになったら、私もみんなみたいにお話しできるようになるんだ」と考えた私は、徐々に新しい環境に慣れ、それまで誰かに手を引かれなくては動けなかったのが、周囲の人に合わせて同じように動くことができるようになった。体育の時間にはみんなと同じように体を動かし、掃除の時間にはみんなと同じように掃除をする。そんな当たり前のことができるようになった。しかし、相変わらず休み時間など“自由にすること”は苦手でトイレにも行けなかった。

 体育の時間に動けるようになったと書いたが、私は体育が大嫌いだった。ある程度、人と同じように動くことはできても、思い切った行動をすることが苦手だった。元々運動神経が悪かったというのもあるだろうが、失敗すること・注目されることが怖くて動きをセーブしてしまう。そうすれば必然的に足は遅くなるし、水泳もできないし、球技も鉄棒も体操も縄跳びも、なにもかもがうまくできない。そうなれば教師もせめて挑戦する姿勢を評価したいと思うのだろうが、私はそれができなかった。
 嫌な体育の時間が近づくと涙が出て体が動かなくなる。そんな私を心配した同級生たちは「お腹痛いの?」と体調を気遣ってくれ、話せない私はただ頷いた。そうすると同級生が担任の先生に報告し、ひとまず保健室に連れて行ってもらえ体育を休むことができた。
 もちろん毎回そんな調子では教師も仮病と判断し、同級生たちが「保健室に」と言っても許可を与えなくなった。進退窮まった私に残されたのは、学校に行かないという選択肢だけだった。

 ちょうどそのころ、もうひとつ私には学校に行きたくない理由があった。人に恵まれたと書いたが、ひとりだけ私のことを嫌い執拗にいじめてくる女の子がいた。仮にMさんとする。
 Mさんは、私が本来通うはずだったかもしれない実家から一番近い小さな保育園に通っていて、小学校で初めて顔を合わせた。その保育園に通っていた女の子はMさんともう一人……Yさんとしよう、MさんとYさんの二人しかおらず、小学校に進学しても常に一緒にいて仲がよさそうだった。そこへ、どうしたわけかYさんが私のことを気に入り、何事も私を優先するようになった。私のためにアレをしよう!コレをしてあげよう!と、Yさんはあれこれ世話を焼いてくれたが、どう見てもMさんはそれが気に食わないという顔をしている。
 やがてMさんは、私を睨む・威嚇するように近づいてきて足を踏み鳴らす・私の描いた絵の端をさりげなく破る・私の物を「貸して」と言ってそのまま自分の物にする・・・陰湿な嫌がらせをしてくるようになった。私はいまだに、彼女に似た顔立ちの女性の前では声が出しづらくなる。

 そんなこんなですっかり学校が嫌いになった私は、ある日の朝、家族が朝食を食べる傍らでうずくまって泣いた。母は何がなんでも学校へ連れていこうとする。父は無関心。頼れるのは祖父母だけだ。いつも私のことを可愛がってくれる祖父母ならば、きっと私を救ってくれると思った。
 しかし、祖父母は私のことを無視した。目をそらして、一言も声をかけてくれなかった。裏切られたと思った。この家にはもう私の味方はいないんだ。大げさだろうが、そう思った。
 以後、祖父母の前では以前のように振る舞えなくなった。それは上記の出来事が大きなきっかけだったのは違いないが、少しずつ無邪気さがなくなって冷静に家族を見ていると、両親が祖父母の前では別人のようになることに気が付いた。母は義理の親に遠慮し、父はただ不器用で実の親にそっけなく振る舞う。それを見て、自分もまた祖父母とは“そういう存在”なのだと悟ったのもあった。

 結局、学校へは休みがちながらも通い続けた。ひたすら耐えて時が過ぎ去るのを待っていれば、いつか「たくさん話せるおとな」になれると夢見て。


蛇足
 場面緘黙症に関係しないが、私は体育のほかに算数が苦手だった。苦手というレベルではなく、数字という概念を習得するのにとても苦労した。テストで0点を取ることもあったし、宿題はもはやあきらめてやらずによく怒られた。成人後も指を使って計算しないと不安だし、数字の記憶が苦手だ。10年前20歳のときに初めて精神科を受診した際、「ワーキングメモリーが一般的な人より弱い。特に数字に対して弱い」という診断をもらった。もしかしたらLD(学習障害)なのかもしれない。代わりに国語と絵を描くことは得意で、作文や絵は褒められることが多かった。

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