生きづらさと向き合う  ~場面緘黙症の私の場合~

  私が自分の生きづらさの正体を知ったのは約10年前、20歳のころだった。自分が背負うものの重さに挫けて起き上がれなくなったとき、苦し紛れにネットで「学校 話せない」と検索して“場面緘黙症”というものに行きついた。「私は病気なのだ」と自覚したことで自分自身に対するハードルを下げ、再び立ち上がることができた。
 正直、私はこの病気を持った自分を分析することが怖い。さらけ出すのが怖い。それでも、もしかしたら似た症状で苦しんでいる人があの頃の私のように、「自分は病気なのだ」と知ることで心が楽になるかもしれない。これを読んだ人が「こういう人もいるんだな」と、少し寛大な気持ちになって他の誰かが生きやすくなるかもしれない。そのために、私なりのできることとして自分の症状や経験を記しておきたいと思う。
 ちなみに、私は場面緘黙症について積極的に学んだわけではないため「こういう病気です」と言い切ることはできないが、あらかじめ簡単に説明すると「強い不安感などから特定の場面や場所で話せなくなる」という精神疾患である。

 まずは自己紹介代わりに、私の症状の略歴を書こうと思う。
 ①保育園入園~中学二年生・・・家では明るく家族とも話せるが、保育園や小学校では一言も話せなかった。感情を人に知られることがとにかく恥ずかしく、どうしても笑いがこらえられないときは下を向いて笑っていた。人から注目されることに異常な不安を覚え、保育園児のころは運動会やお遊戯会などで動くことができなかった。小学生になっても自発的に動くことができず、休み時間も自分の席に座ったままトイレにも行けなかった。

 ②中学二年生~高校卒業・・・「このままではいけない」と、とあるきっかけから全校生徒の前で作文を発表することに成功するが、相変わらず自発的な行動は苦手で必要最低限のことしか話せなかった。さらに、それまで「話せない子だから仕方がない」と免除してもらっていたことがすべて「できて当たり前」として扱われ、ストレスで下痢や食欲不振など身体的な不調が現れることが多くなった。徐々に家族の前でも、特に苦手な祖母や父の前では声がでなくなったり感情を表に出すことが苦手になった。

 ③大学入学~社会人・・・一人暮らしを始めたことが荒療治になり、人の目を気にすることなくトイレに行けるようになり、食料品など最低限の買い物ができるようになった。留学に挑戦し失敗したこともかえって精神科に行くきっかけになり、自分が「場面緘黙症」「社会不安障害」だと知る。

 ④現在・・・場面緘黙の症状が出るのは家族の前での方が多くなり、家族のいない場面ではかえって話しやすくなる。それでも、自分からあいさつをしたり声をかけたりすること・食事をしながらの会話・二人以上での雑談・電話をかけること・同年代の人と気さくに話すこと・幼い子どもに相応な話し方をすること……などなど苦手なことはいまだ多く、回避行動をしたり緊張で体が震えることもある。


 最も苦しかった時期のことを思い出すと吐き気を催す。それでも、こうして文章にすることで自分でも新たな気づきがあり、まったくの無駄ではなさそうだ。
 最終的に誰かのためにならないかもしれないが、まずは自分のために、これから少しずつ①~④を詳しく書いていけたらと思う。

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