トイレに行けない子どもだった私

私は保育園入園~中学二年生まで、学校など不安を感じる環境でだけまったく話せなくなる「場面緘黙症児」だった(現在も後遺症が残っている)。それと同時に、自発的に体を動かすことに対して異常な不安を覚え、動けなくなる緘動の症状もあった。

その動けないという症状のせいで特に困ったのがトイレである。トイレに行くことは特に「恥ずかしいこと・怖いこと」で、私は確か大学生になるまで学校ではトイレに行くことができなかったと思う。もちろん生きた人間なので生理的欲求に耐えられず、何度も失敗をした。

さらに思春期になって生理が始まると、経血で制服や椅子を汚すなど失敗が増えた。ナプキンや下着を二枚重ねにするなどの対策を講じたが、家を出てから帰宅するまでの間に排出する経血すべて吸収してくれるはずがない。

こうしたシモの失敗は、心に大きな傷がつく。生きている限り逃れることができず、常に不安で憂鬱な気持ちで過ごさなくてはならない。学校へ行きたくない要因のひとつでもあった。克服した今になって思えば、どうしてできなかったのだろう、馬鹿だなぁと思うけれども、あの頃の私にとっては生きるか死ぬかレベルの大問題だった。

では、どうしてもらえば良かっただろうか。私は「トイレに行く時間」を指定してもらえると、ありがたかったかもしれない。

小学三年生頃だったか、自宅の二階の出窓で遊んでいた際に誤って外へ転落し、足を骨折した。しばらくギプスをはめて学校生活を送ることになり、トイレも特別に校内にひとつしかない障害者用トイレを使うことになった。休み時間になると保健室の先生や、世話好きな同級生の女の子が介助のためトイレに連れて行ってくれた(実際は介助なんて必要なく、ただ付き添ってもらっていただけだが)。

自発的な行動は苦手でも誰かに手を引いてもらえば動けたし、「こうしなさい」と言われたことに従うことはいくらか容易かった。“普通の子ども”だったら必要ない気遣いなのかもしれないが、私のようなトイレに行くことに対して異常な不安を感じてしまう子どももいることを、ぜひ周囲の方々も知って欲しい。きちんとサポートしてあげれば徐々に慣れて、いつかきっと何も問題なく行けるようになるのではないだろうか。

また、女性特有の悩みとして生理の問題。これももちろんトイレに行きたいときに行けるようになれば解決する話だが、もっと自分に合った生理用品を気軽に試せる環境があれば良かったように思う。

私の場合、学校ではどんな生理用品があるか詳しく教えてくれず、家庭でも話題に上ることはなかった。いつも母が買ってきたナプキンを黙って使っていたが、メーカーが毎回違うどころか昼用夜用もあべこべ(昼用しか買ってないなど)だった。今思うと、もしかすれば母も生理用品をじっくり選んで買うのが恥ずかしかったのかもしれない。私もまた「羽つきが良い」などリクエストもできず、まして自分で買うこともできなかった。

選択肢がないというのは、それだけでネガティブになる。しかし、だからこそ、私は一人暮らしを始めて自分で生理用品を選べるようになったとき、劇的に生理への印象が変わって前向きにとらえられるようになった。

まずはナプキン。量が多い日用や夜用を使い分けることができるだけで随分違う。そして次にタンポンに出会って、ドロリと経血が体外へ出るときの不快感がなくなった点や、ナプキンのみの場合より長時間トイレに行けなくても安心できる点に感動した。そして今は月経カップと布ナプキンをうまく使うことで、生理用品を節約することまでできている。

母親や学校の先生のような信頼できる人からきちんと教えてもらえる環境というのも、もちろん必要だろう。しかし今のご時世、少しアンテナを張って気にかけていればすぐに新しい情報を手に入れることができる。正しい情報を発信できる人は積極的に発信して、その情報が「恥ずかしい!人目につくような場所にさらすな!」などと抑圧されないことが大切だろう。


私は他にも人と食事をすることが苦痛だったり、感覚過敏ですぐに体調が悪くなったり、様々な“生きづらさ”を抱えている。しかしそれらはほとんど、自分で予防したり避けることができる。それに比べてトイレはどうしたって行かずには生きていけない。生理も自分ではコントロールできない。これらがスムーズに処理できないのは、本当につらい。

恥ずかしいという感情に人一倍、振り回されてきた人間が思うことは「恥ずかしいこと」だからこそ、願わくば、もう少し寄り添い合える世の中になれば良いなぁということだ。

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