【読書感想文】 禍いの科学


読書感想文というより内容のまとめに近いかも知れませんが、是非多くの人に知ってもらいたい科学の暗黒歴史ですので、そのように書かせていただきます。

「地獄への道は善意の石で敷き詰められている」"The road to hell is paved with good intentions"

私の大好きな箴言です。この世の多くの悪行は、そもそもは善意から始まっていることが少なくないのです。

◆ アヘン

芥子の効能については何千年も前から知られており、そのうち近代医療で活用されるようになってきましたが、同時にその中毒性の恐ろしさも判明してきました。にもかかわらず18~19世紀のイギリスが当時の清に対して行った所業は恐ろしいものがあります。1900年に清は3900万トンのアヘンを輸入し、1300万人以上のアヘン中毒者を出してしまいました。

各国で、何度も中毒性のない薬を開発する努力がなされました。モルヒネ・ヘロイン・オキシコンチン、、その度に安全性が喧伝され、製薬会社は莫大な売上を手にし、販売開始しばらくしてその安全性に疑問符がついてやがて販売中止になるということが繰り返されました。現在の私達には考えられませんが、ヘロインは開発当初は夢の薬としてもてはやされていたのです。

また恐ろしいことに、オキシコンチンは鎮痛剤として医師が処方できたため、リーベルツという医師は1日に150人もの患者に処方箋を出すという悪夢のような事態まで発生しました。

麻薬に対する戦いは21世紀となっても一向に終わる気配はありません。

◆ マーガリン

なぜか日本では規制されていないマーガリン(トランス脂肪酸)ですが、WHOの勧告もあり、トランス脂肪酸は欧米各国では禁止や規制されている物質です。

なぜマーガリンが開発されたか?そもそもはコレステロールが心臓に悪い(動脈硬化の原因となる)という報告から始まっています。今の我々は知っていますが、全てのコレステロールが動脈硬化の原因となるのではなく、その一部である悪玉コレステロールが原因となっているのです。ですが、当時はコレステロールが悪い→飽和脂肪酸が悪い となり、バターや肉類が攻撃の対象となりました。

今でもそうですが(例えば糖質とか)、ある特定の食材や成分を、大した根拠もなく悪者としてネガティブキャンペーンがなされることはよくあります。でも完全に良質である食材、逆に完全に悪質である食材があることは稀です。このようなキャンペーンに乗せられないよう、我々は十分留意しなければなりません。

このようなバターに対する代替品として、植物油由来であるマーガリンが脚光を浴びるようになりました。マーガリンは水素添加によって化学的に作られた(だからイコール悪というわけではありませんが)加工食材です。含まれる脂肪酸は、不飽和脂肪酸ですが、天然にあるシス不飽和脂肪酸ではなくトランス不飽和脂肪酸です。化学の世界で言う幾何異性体ですね。

マーガリンは飽和脂肪酸ではないということ以外に、以下のような利点がありました

・酸化しづらいため保存期間が長い

・燃えにくいため煙が出にくい

・匂いにくせがなく使いやすい

・バターに似ているため代用品になる

・安い

その後コレステロールの研究が進んだことで、コレステロールには高比重リポタンパク質(HDL)と低比重リポタンパク質(LDL)との二種類あり、かつ後者の中でも非常に悪玉のsdLDLという存在があることが分かりました。HDLはLDLを冠状動脈から追い出すいわば善玉です。飽和脂肪酸は、HDLの量には関係せず、LDLは増やしますがsdLDLはあまり増やしません。ところがトランス脂肪酸は、HDLを大幅に減らし、sdLDLを大幅に増やすことが分かりました。

つまり結果として、皮肉にもマーガリンに含まれるトランス脂肪酸は、バターに含まれる飽和脂肪酸より心臓病のリスクを高めることが明らかになったのです。

◆フリッツ・ハーバー

ドイツの化学者であるフリッツ・ハーバーは、ハーバー法と呼ばれるアンモニア生産方法を考案し、人工肥料の開発に多大な貢献をした人です。このことでどれだけの飢餓による死亡を無くすことができたか想像もつきません。ただ、アンモニア生産工場からの排水は、海の富栄養化をもたらし、海洋生態系に悪影響を与えてしまいました。

これだけならばまだましですが、ハーバーは第一次世界大戦でドイツの戦況を有利にするために毒ガス開発を推進しました。当時既に戦争で毒ガスを用いることは国際法上で禁止されていましたが、ハーバーは大量の塩素ガス、ホスゲンガス、マスタードガスを生産し、ドイツ軍はそれを戦地で使用しました。

戦後、戦争犯罪人になることを何とか逃れたハーバーでしたが、ナチス政権下でユダヤ人であることから公務を追われ、海外で死亡しました。

また皮肉なことに、ハーバーとそのチームが害虫駆除のため開発した薬が、その後チクロンBとなり、ユダヤ人のジェノサイドに使われ、その被害者にはユダヤ人である彼の親族も含まれていたということです。

◆優生学

優秀な遺伝子を持つ人間のみ子孫を残す権利があり、劣後する遺伝子を持つ人間は子孫を残すべきではないという恐ろしい考え方です。当時根拠もなく白人は優位、有色人種は劣位と決めつけられたり、あるいは障害のある人間に避妊手術を強制的に行われていたりしました。。

1965年、以下の国際連合教育科学文化機関(UNESCO)により声明が出され、優生学の狂気を終わりました。

・すべての人は同一の種、ホモ・サピエンスに属する

・人種とは生物学的な事実ではなく、社会的作り話である。民族集団の益を考慮し、この用語は使用を止めるべきである。

・人類の集団ごとに先天的な精神特性や知的能力が異なる、もしくは人間の身体的特徴と精神的特徴の間に関連があることを示す証拠は存在しない。

しかし、ゲノム配列が解き明かされる中、優生学ではないにしても人間に対する遺伝子操作というパンドラの箱がいつ開けられるか分かりません。倫理的に非常に難しい問題であるので、我々も軽々と判断・行動しないように気をつけなければなりません。

◆ロボトミー

脳から前頭葉の白質だけを切除する手術により、精神障害を治癒できるという触れ込みでしたが、勿論脳の働きがそんな単純な訳もなく、実際にこの手術を受けた患者は多くの後遺症に悩まされ、治療法としては全くふさわしくないものでした。

なぜそのような手術が数十年も続けられたか?以下のような理由で、精神障害に対する治療法が強く求められていたからです。

・治療が難しい精神病患者に対し、患者の家族はどんな手段でも治療する手段を欲したから。

・精神病院はどこも患者で溢れていた

・病院の劣悪な環境(患者への虐待)

我々は、非常に解決の難しい問題に直面したとしても、手っ取り早い解決策に飛びつかないよう十分気をつけなければなりません。

◆ 沈黙の春

「沈黙の春」といえばレイチェルカーソンが著した環境保護運動の嚆矢となる書籍ですが、一方でDDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)を禁止に追い込んだという負の側面があります。

現在の研究では、DDTには「沈黙の春」で主張されているような、自然破壊の能力(野鳥の巣が減少する等)はなく、人間の慢性疾患の原因ではないことが分かっています。

DDTが禁止されたことにより、アフリカ等でマラリアの流行は繰り返されました。代替品もないわけではありませんが、それらは一般的にDDTより高価で、持続性がなく、効果は薄かったのです。

「沈黙の春」は、データに基づく記述が乏しく、エピソードの描写に重点が置かれています。一方、同時期に、同じテーマに関して、専門家100人以上による9000ページの報告書が存在したのです。時の政府がどちらを拠り所として政治判断をすべきかは明確でした。。

◆メガビタミン理論

皆さんも、ビタミンを沢山とればとるほどよいという「メガビタミン理論」について聞いたことがあるかもしれません。これは、ノーベル化学賞受賞者であるライナス・ポーリングが主張した理論なのです。

ノーベル化学賞を受賞した科学者が、そんな間違った主張をするわけがない。。普通の人はそう思いますよね。ところがこの理論は誤っており、ビタミンCの取り過ぎはがんのリスクを高めてしまうのです。

実はこの事実は1977年に判明していました。アーサー・ロビンソンという化学者は、マウス実験により、ビタミンCの過剰摂取はがんのリスクを高める実験結果を報告していました。しかしポーリングはこの結果を取り上げず、あろうことかマウスの殺処分とロビンソンの辞職を迫ったのです。ポーリングの命令により、理事会はロビンソンの給与を差し止め、停職処分にしました。結局裁判沙汰となり、5年かかって研究所はロビンソンに50万ドル支払うことで決着しました。

その後の研究で、ビタミンA、C、Eの過剰摂取は、様々ながんや心臓病のリスクを高めることが、実験結果として判明しています。

◆ まとめ

長々と書いてしまいましたが、初めに善意があろうとも、治療や施薬に関しては科学的なアプローチを採らない限り、待ち受けている結果は悲劇でしかありません。科学的なアプローチとは以下のことです。

1.データに基づいて判断する

2.完璧な解決策は存在せず、何か代償を伴う。問題はその代償の大きさだ

3.雰囲気に流されてはいけない

4.手っ取り早い解決策には用心せよ

5.量次第で薬も毒となる

6.過度な用心、ゼロ・トレランスが誤った判断を導くことがある


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