母との対話
ある日の昼下がり、僕は母と対話をしていた。
「あなたがなぜ哲学をしているのか、私にはわからない」
母はそう言った。僕は母のことが好きで、母との対話が好きだ。ある問題に対して母が提出した答えがどれほどの妥当性を持っているのか、考えうる反論を提示し、再反論を検討し、それを吟味することが特に好きだ。時にはお節介に感じることもあるが、母にとっては興味のない哲学的議論を一方的に展開していることを思うと、まあお互い様だろう。
あとでわかったことだが、僕のそのような態度は、母には痛々しく映るらしい。
「過去の痛みを、悲しい思い出を、理論武装で抑圧しているのよ」
母はそう言った。防衛機制の話かな、と僕は思った。
「それはあなたが優しいから」
母はそう言った。それは違うのではないかな、と僕は思った。
いつもの調子でそれを語ろうとしたが、うまく言えなかった。言葉に詰まったのだ。絞り出すように何かを言った気がするが、よく覚えていない。
僕には五つ歳の離れた妹がいる。僕がほとんど家に帰らなかった大学生の頃、家では母娘の壮絶な闘争があったということを聞かされた。妹の恋愛を端に発する母娘関係の軋轢とのことだ。やがて関係は修復され、妹は結婚して県外に住んでいる。
「あなたは妹とは違い、黙って家を出て行った」
母はそう言った。本当は妹のように、あなたにも何か言いたいことがあったのではないか、と。言いたいことなど何もない。心の底からそう思った僕は、それを口にした。――なぜか涙が、溢れ出てきた。
母も泣いていたと思う。気がつくのが遅かった、と言っていたようにも思う。僕には心当たりがなかった(いまもない)ので、よくわからないと答えたが、それはあなたが優しいから、私を悪者にしないように奮闘しているだけ、と繰り返すばかりであった。
――おそらくここには「青い鳥構造(Blue Bird Structure)」があるのだろう。解釈学的には誤ることがありえない僕の記憶は、母という外部の視点から眼差される系譜学的な視線によって、虚構でありうる。
どうやら母は、隠された過去を思い出したうえで新たな自己解釈を作り出し、それに乗り換えることを、僕に望んでいるようだ。
しかし永井均はこう言っている。
「過去はただ忘却され、現在と決定的に隔てられることによってのみ救済される」――永井均『転校生とブラックジャック』終章「解釈学・系譜学・考古学」
さて、僕はいま幸せなのだろうか。
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