道徳的、あまりに道徳的

ゴールデンウィークということもあって、県外に住む妹が帰省していた。訳あって実家にいる私は、僕にはないもの(だけ)をすべて持っている妹と、その夫(つまりは義理の弟)と、約五日間をともに過ごした。

妹は世俗的利己主義者である。お金が大好きなのだ。義弟とは(当たり前だが)気が合うようで、定価○○円のものを□□円で買った、とか普段からこういう節約をしている、といったエピソードをたくさん聞かされた。悪い気はせず寧ろ微笑ましかったが、どこか遠くの世界の話のようであった。

妹とは仲が良い――と思う。私は妹の前でだけ・・でいることができる。あとで知ったことだが、義弟は私を恐れているらしい。本当に恐れているのはの方なのだけれど。

妹夫婦が帰省すると、実家では決まってボードゲーム大会が開かれる。勝負事となると内なる俺が目覚め、徹底的に勝利を目指してしまう私は、すこぶる評判が悪い。今回は一度だけ参戦し、皆が気がついていないことを条件にかろうじて戦略として機能するようなそれを駆使して、(一回性の)勝利を手にした。余談だが、五人目の彼女とはそれが原因で別れたような気がする。捏造された記憶かもしれないけれど。

何日目のことか、妹の職場に嫌われ者がいるという話を聞かされた。そういえば高校の同級生にそんなやつがいたな、ということを言った(気がする)。私が山Pと呼んでいたその男は、高校デビューに失敗して、完全にはぐれ者であった。些細なことから彼は唯一の親友を喪い、なぜか私が彼を慰める運びとなり、一緒に味噌ラーメンを食べた気がする。捏造された記憶かもしれないけれど。

さて、母の登場である。夜ふかしが祟って十時過ぎに起きた今朝方、私は眠気まなこを擦りながら、母の話に耳を傾けた。

「山Pの話を聞いて思い出したんだけどね、私にも似たようなことがあったのよ」

母はそう言った。家庭事情が複雑で引越しが多かった母は、転校先の同級生の中に、いじめられっ子(Mちゃん)がいることに気がついたという。

「教室で失禁してしまう子で、凄くいじめられていたの」

母はそう言った。いじめに加担することはなく、かといって助けることもしなかった母は、そのことを母方の祖父(母にとっての父)に打ち明けたらしい。

「だったらお前が友達になれ」

祖父は母にそう言ったそうだ。祖父が何を前提に(あるいは何を意図して)そう言ったのか、私にはわからない。母にもそれはわからないらしい。

祖父に唆された母は数日後、Mちゃんの家に遊びに行ったらしい。綺麗とも汚いとも形容しがたい部屋に案内された母は、Mちゃんの目を盗んで、蛍光灯のスイッチを〝カチカチカチカチカチカチカチ〟と何度も繰り返し切り替えたそうだ。

「お父さんの言うことは正しいと思ったし、今でもそう思う。だけど本当はMちゃんが嫌いで、それで――」

母は当時のことを振り返りながらそう言った。

「道徳とは〝呪術〟である」

時折、そんなことを思う私は

「おじいちゃんに〝呪い〟をかけられたんだね」

と母に言った。

母は首を傾げていた。「今でもそう思う」というところに、私は〝呪術性〟を観取したのであるが……


閑話休題


後日談というか、今回のオチ。

祖父の〝呪い〟にてられた母はその後の人生において、己のいだいた嫌悪感を無意識へと抑圧しつつ、ある種の孤独な人々に助けの手を差し伸べてきたらしい。孤独な人々にも種類があって、劣悪な環境で育ったがゆえにどうしようもなく孤独に陥っている人や理不尽ないじめを受けている人を助けるべきで、自己中心的な人や自分自身の傲慢さを認識しつつも開き直っている人を助けるべきではない、と最近は思うようになったみたいだけれど。

だがこれはまさに〝同じ穴の狢〟ではないか。そもそも「助けるべき(である/でない)」場合を峻別できる徴表メルクマールは、本質的には存在しないのではないか。いずれにせよ(基本的には)手を差し伸べるべきではないのだ。同じ種類の苦しみを味わったことがある場合に限り、相手にそうとは気づかれない形で助けることができるのであって、「自分が深くて重くなったような気分を味わうために、苦しんでいる人を利用してはいけない」のだから。

あまりに道徳的な母は、その隠微で陰湿な暴力性に気がつかない。

はて、そういう私は?

「最も深く、最も個人的に苦悩しているとき、その内容は他人にはほとんど知られず、窺い知れないものである。そのようなとき、人は最も親しい者にさえ隠された存在である。(中略)だが、苦悩する者と知られたときには、苦悩は必ず浅薄せんぱくな解釈をこうむる。他人の苦悩から、その人に固有の独自なものを奪い去ってしまうということこそ、同情という感情の本質に属することだ。──『恩恵をほどこす者』は、敵以上に、その人の価値や意志を傷つける者なのだ」

――F. W. Nietzsche『悦ばしき知識』
(永井均『これがニーチェだ』からの孫引き)

「助けないよ。力を貸すだけ。きみが一人で勝手に助かるだけだよ、お嬢ちゃん」

――西尾維新『化物語(中)』
(忍野メメの台詞から一部抜粋)

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