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カーラのゲーム

東京都知事選が終わった後、選挙戦にからんでこの本が紹介されていた書評から読んでみました。書評で説かれていた一市民が立ち上がる意味、もこの小説の大事な要素です。しかし、私にとっては、やはり、この小説では避けて通れない、戦争、について考えずにはいられませんでした。

これまで私が読んできた戦争の小説は、戦争当事国の視点が主でした。このカーラのゲームは当事国の視点と周辺諸国の政治家の視点、一介の一市民の視点が行きつ戻りつするところが特徴です。それだけに戦争の悲惨さだけではない、いやらしさ、や根の深さが浮き出てきます。

もっとも浮き彫りになる、のは周辺諸国のいやらしさでしょう。
停戦までもっていけないのはしょうがない。だってこんな規則があるから。
この手続きを踏まなければいけないから。意見がまとまらないから。
本音は、ここでへまをしたくない、借りをつくりたくないから。

私は声を出せない。だって◇◇に所属しているから。組織にはさからえないから。
本音は面倒なことにかかわりあいたくないから。

私は平和なところにいてよかった。多分いつまでも無事平穏にくらしていける。だって私は△△に住んでいるから。
大きな声じゃ言えないけれど、◇◇の人たちは、争いに慣れているわよね?

もっともらしい理由の裏にかくれた、薄汚い本音。この薄汚い本音が世界を
停滞させ、格差を広げていきます。

やろうと思えば誰にでもできることだが、実行に移す者はほとんどいない。
と、カーラは空腹と絶望の中から闇屋で生計を立て、そしていわゆるテロリストになっていきます。ただ、彼女は指図されて動くことをよしとしません。自身でゲームを組み立てていきます。
カーラのゲームに周辺国の薄汚い本音で包み隠された人々が動かされていきます。絶望におとされるものもいれば、言い訳をせずに自らやれることに立ち上がるものもいます。つまり、小説の中の言葉をかりれば、まぎれもなく自分の人生を生きている。自分の流儀でゲームを進める人たちも出てきて、本来目指すところはどこだったかを明るみにしていきます。

戦地にあったか弱き女性が、世界を動かすハイジャッカーとなり、そこから逃げ延びて今を生きている、というのはむろん、現実にはありえない展開です。それでも鼻白む思いにはならず、むしろ、現世の縮図をまざまざとみせつけられる思いに駆られるのは、カーラ「以外」の人たちがあまりにリアリティにみちみち溢れているからです。
カーラのゲーム、というタイトルですが、ゲームに踊らされる周辺人物を
読み、学ぶ本ではと思います。







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