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できることを、少しずつ。

最近まで、活字を読むことも、書くこともできなくなってしまっていて、noteから少し離れていた。

母が流行病にかかってから、約2週間。
母の体調が回復するまで、家事全般を私が担うことになった。以前にもそういうことはあったけれど、朝から晩まですべての家事をするというのは初めてだった。
普段の手伝い程度の家事とは大違いで、慣れないことに物凄く神経を使ってしまった。(普段からもっとちゃんとやっておけばよかったと反省...😢)

特に神経を使ったのは、料理。
私はもともと一度に複数のことをするのがあまり得意ではない。考えることが多ければ多いほど頭の中が混乱するし、集中力が散漫してしまう気がする。
その点において、料理は致命的だなと思った。
温めたり焼いたりするだけでいい冷凍食品や、材料をぶっ込んでボタンを押したら、あとは放ったらかしでも大丈夫な電気圧力鍋のおかげで何とかなったけれど、私は料理向いてないな...と心がぺしゃんこになってしまうことも多かった。

幸いにも夏休み中で、勉強等で追われるものも無かったから、とにかく家事に一点集中する日々を送っていたら、自分の時間を作ることができなくなっていった。
何かしようと思っても、ご飯はどうしようかとか、洗濯がもうすぐ終わるから干さなきゃとか。いつの間にか家事中心の脳味噌になっていた。
一日の家事を終えて、寝る前の時間だけが自分のために何かできる時間だと思った。
でも、慣れない家事による疲労で、本を読んでも頭に入ってこないし、何か書こうと思っても言葉が出てこない。結局、朝ご飯作らなきゃだし早く寝よう、となる。

母はいつも家事をこなした上で、勉強や読書、趣味の時間まで作っていたんだと思うと、もう凄すぎて言葉にならない。
慣れもあるのだろうけど、私には到底できないんじゃないかと思ってしまった。

家事をすることで得られる達成感みたいなものもあったけれど、連日の疲労と自分の時間が作れないことの方が私の中では大きかった。
それに加えて、外出もほとんどしていなかったから、何となくずっと鬱々とした気分でいた。

最近、母の体調が回復してきて、自然と私の心にも余裕が生まれた。
家事も母のできる範囲で手伝ってもらっている。やることが少し減るだけでも心身ともにとてつもなく楽になった。

おかげで少しずつできることが増えていった。
自分のための時間が作れるようになって、読みたくても読めなかった本が読めるようになった。
あとは、空の写真を撮ってみたり、友達の誕生日プレゼントを考えたり、意識を外に向けることもできるようになった。

そして今、母の偉大さとこの経験を忘れないために、久しぶりにnoteを書いている。
noteを書きたいと思えたのも、この約2週間があったからだ。

この経験を無駄にしないためにも、今回自分のためにできることを少しずつ増やしていったように、家事でもできることをこれからも増やしていきたい。
そして、自分にとって1番ベストな生活のバランスについても考えていけたらいいなと思う。


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