見出し画像

病歴⑨:髪が抜ける

1回目の抗がん剤治療で大きなアレルギー反応を示さなかったことから、続けてやっていくことになり、早くも次の週には2回目の点滴を受けた。
2回目であっても、2-3日前から不安感が高まり、過呼吸を起こすのではないかと思うことが何度かあった。
3回目の時には、パートナー氏が付き添ってくれたが、その時に抜け毛が増えていないかと指摘された。
それまで自覚はなかった。
ちょうどその頃から、脱毛が始まった。

抗がん剤は、細胞の増殖が盛んな部分に作用して、その増殖を抑制する。
それが第一にがん細胞であり、第二に毛根であり、第三に骨髄である。
実際に抗がん剤治療が始まってから、効果の部分は体感しづらく、副作用は実感しやすかった。
そのため、ここから先はどんな副作用があるかを中心に、どんな風に経験していったかを書き留めていこうと思う。

振り返ってみると、最初の抗がん剤治療から3週間目ぐらいから髪が抜け始め、そこからおおよそ2-3週間かけて、ほとんどの髪が抜けたことになる。
それ以降も現在まで脱毛は続くが、髪の量自体が少なくなってしまったので、目立つほどの本数にはならない。
抜け始めるのと前後として、頭皮がぴりぴりちくちくとして痛みを感じることが増えた。
私の場合は、側頭のあたり。髪をひっぱられるというよりも、針で浅く刺されるような痛み、火傷のひりつく感じに似ている。激痛ではないが、痛みを感じる頻度は多かった。
やがて、その痛みを感じている辺りから、頭髪が抜け始める。

洗面台や脱衣場の周辺は髪もとくし、洗い髪を拭くしで、抜け毛が散らかりやすかった。
当初、母があの辺りが散らかっていた、こんなに抜けていたと話題にした。
からかうわけではなくて、気にせずに話題にできるよう、オープンにしてくれているつもりだったのだと思う。私が気づかない間に掃除をしてくれていたのも母である。
ただ、母は気を遣いすぎて、口調がはしゃいでしまうところがある。娘の副作用を発見することを、純粋に好奇心を持って面白がっていたのだと思う。
その口調と笑顔であんまり頻回に言われると、私のほうがつらくなってしまい、声を荒げたことがあった。

それから、自分で抜けた髪の掃除をするために、抜け毛が落ちていないかを確認する回数が増え、私は神経質になっていった。
櫛で髪をすけば、ごっそりと櫛に髪が絡んで抜ける。まるで、お岩さんのようだと思ったものだ。
髪を洗えば、湯を被るだけで髪がするすると抜ける。手に髪が絡み、体中に抜けた毛がはりつくので、何度も体を流した。毎晩、排水溝に真っ黒に厚みをもって髪が溜まった。
赤ちゃん用の泡シャンプーに替えた。頭皮の上で泡立てたり、頭皮をマッサージをするように洗うことが怖くなった。ボトルを押したら出てくる泡を、髪に馴染ませて流すだけに変えた。髪の量が減ってからは、コンディショナーも不要になった。
ドライヤーを使えば、それだけでひらひらと髪が抜けて飛んでいく。半径1mぐらいに散らばることがわかった。髪の量が減るにつれ、ドライヤーの温風がひどく熱く感じるようになり、弱い温風や冷風でほんの1-2分、気持ちだけ使えば十分になった。
入浴するたびに、タオルについた髪をはたき、浴室に落ちた髪を流して排水溝に溜まったものを拾い、バスマットの上を掃除用の粘着テープでコロコロし、掃除機をかける。風呂を出てから、30分ぐらいはかかっていただろうか。
掃除をしながら、泣きそうになったこと、涙がにじんだこともある。
それも徐々に慣れて、なにも感じなくなっていったが。

ある日、母が、私がゴミ箱に処分した一回分の髪の量を見た。一番、抜ける量が多かった頃のことだ。
母の顔が一瞬でこわばり、それから、それまでのように面白がるかのように話題に出すことはなくなった。後で聞くとだいぶとショックだったらしい。
私のほうはその反応を見て、なるべく常にニット帽子をかぶるようにして、家族の目に映らないように心がけるようにした。
職場とも話し合い、たとえ職場復帰したとしても、ウィッグではなく帽子対応でよいと上司から言ってもらっていたので、とりあえず、ケア帽子だけはネットで多い目に買っておいた。
正々堂々と買える、ストレス発散のお買い物だった。

そういう大量に抜ける日が二週間ほど続き、年が明ける頃には私の頭髪はずいぶんと薄くなっていたと思う。
その頃はもう、櫛ですくほどの量ではなく、すいてもごっそり抜けるということはなくなっていた。
鏡に映る自分を見て、お岩さんではなく、アウシュビッツに収容された女性たちを思った。髪を切られた女性たち。帽子をかぶっていた女性たち。
抗がん剤治療の副作用としての脱毛は、男性の加齢に伴う頭髪量の減少と違い、生え際が後退するわけでもなければ、頭頂部からつるりとなるわけでもない。
個人差があるのだと思うが、私はまだらに薄毛になっている。前髪はそれなりに残っているが、側頭や頭頂部はほとんどない。
前髪がふんわりとあるので、自分ではなんとなく髪があるようなイメージ補正が入っていたが、現実を直視すると地肌がずいぶんと見えるようになっていた。
後頭部は短くしていたこともあって抜け毛が目立ちにくかったが、そこは後から徐々に減っていった。

髪が薄くなり、ケア帽子をかぶると、自分の丸顔が目立つのも嫌で、自分の外見への嫌気が増して仕方がない。
自分の外見を見苦しい、見すぼらしいと思うからなるべく隠したい。そういう心理が強く働くようになった。
とはいえ、もともと、私は帽子というものが得意ではない。幼少期の頃は母が手作りしてくれた帽子を、母が見ていないすきにぽいっと投げ捨てたことがあったらしいし、小学校の紅白帽のゴムが大嫌いだった。
フェルトのテンガロンや、クロッシェ、キャスケット、あるいは、夏のハット類。大人になってから楽しむようになったけれども、いずれもしめつけるタイプではない。
コットン100%の軽くて手触りのよいニット帽子ばかりを選んでいたが、常に身に着けていると締め付けられている感じや暑苦しい感じがして、苦痛に感じることが増えていった。

1月になってからのことだと思う。
帽子が嫌で嫌でたまらなくなって、家族の前でかんしゃくを起こしてしまった。
髪があるときは平気だったのが、髪が減ってからのほうが、しめつける感じは強く感じるようになったのかもしれないし、時間経過して飽き飽きとしていたのかもしれない。
風呂上がりで体温が上がっているときに、帽子をつけるのが嫌だった。
母が、それだったらはずしたらいいじゃない、と言ってくれた。
それまでは親に見せてはいけないような気持ちがして隠していたが、それから、親の前で、時々、帽子をはずすようになった。
ちょっと勇気はいったけど。
それよりも、パートナーの前で帽子をぬぐほうが、とても勇気がいった。
私は引け目に感じて落ち込んでいたが、パートナーは、全身に薬が行き渡っている証拠だと言ってくれた。
副作用は必ずしも抗がん剤の効果が出ている証拠ではないのだが、そう思うことで、この時期を乗り切ることができたように思う。効果があると信じなければ、しんどいときもあったから。

帽子については、かぶる前にぐいっと手で広げて、ぽんと軽く載せるようにすることを憶えてから、しめつけられる苦痛は減じた。
それに、髪が減ってしまうと、頭皮が寒い。暖冬とはいえ、一番寒い季節を迎えて、就寝時にもかぶらないと寒いと、必要性を感じるようになった。
外出時には、コットンのニット帽子は風通しがよいので、帽子を二重にしてみたり、もともと二重の作りになっている帽子を買い足してみたり。
寝るときも外出時も、首筋が結構、冷える。そんなことを感じるたび、お坊さんって大変だなぁとか、今までの私よりも髪の毛が短い人が多いという点で男性って寒くないのかなぁとか、考える。
逆に、冬場だから帽子をかぶっていてもおかしくはないけれど、夏場になると蒸れたり、暑くなったりしそうで、どうするんだろう。
本当は、寒いだけではなく、けがの防止という意味でも、帽子の着用は推奨される。猫にうっかり踏まれることを考えたら、確かにその点でも必要かもしれない。

ここまで髪の毛のことばかりを書いてきたが、当然のことながら、毛根は全身にある。
はたと気づいて見てみると、腕や脛が、きれいに除毛した後のようにつるんとしていた。これに気づいたときは、ちょっと面白かった。
眉を最後に整えたのは年末年始の頃だっただろうか。その後に、はえないし、のびない。少しずつ細く、薄くなってきた気がする。
まつ毛も減ってきた。あんまり減ると、ちょっと嫌だな。
そういう風に、がん細胞に効果を与えているかどうかは別にして、全身に行き渡って、私のからだに影響を与えていることは、確かなのだ。
今もまだ、現在の自分を人に見られることは嬉しくないし、人前で帽子をはずすことはしたくないが、このことで悩むことは減ってきた。
それ以上に気になり、苦痛に感じる副作用があるからだ。

サポートありがとうございます。いただいたサポートは、お見舞いとしてありがたく大事に使わせていただきたいです。なによりも、お気持ちが嬉しいです。