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長い間ありがとう!

ずっと一緒にいたやつがいなくなるのは不思議な感じだ。といって毎日会ってたわけじゃないし、なんなら週一会わない時も多々あった。ただなんとなくずっと一緒に柔術をやってるんだろうなと思っていた漠然と。案外ツーショット写真を撮ったことはない。カメラマンは撮る側で写る側じゃないというのもあるし。

初めて会ったときは青帯を巻いて現れた。若くて才能あり気なやつが入ってきたなーというのが最初の印象だ。トッポい感じでそんなに積極的に喋るという感じでもなかった。朝クラス後に昼飯を食べに行くようになり、その際には必ず酒も伴った(笑)毎回。コロナ前の、まだ日本に力があった頃の良き時代だ。そして我々も若かった。その頃のトライフォース本部は巣鴨にあって、朝クラスはまだ人数も少なかったから、行くと毎回全員とスパーをやり、当然宮本とも。なんなら一日2回とかもあった。思えばお互い紫帯ぐらいまでが一番やっただろう。スパーと酒。それが“朝柔”だった。そうやって交流は深まった。今じゃ誰も知らないだろうけど、当時の宮本は、下から潜ってばかりいたので、モグラーと呼ばれていた。トップからのパスガード狙いと、ファイトスタイルも随分変わったね。当時はトップを取りたがる筋骨隆々おじさんばかりだったので、自然と下をやることになっていたのもあるだろう。その頃の朝クラスは極端なことを言えば、消防士か私しかいない状況で(笑)、朝柔は巷では消防士軍団とも呼ばれていた。最盛期には10人を越える消防士がいたが、結局最後まで残ったのは宮本、村澤、藤田で、皆黒帯になった。春には毎年クラス後に花見をやり、忘年会や新年会、バーベキューなど、理由をつけてはみんなで飲んだ。トライフォースの成長とともに参加人数はどんどん増えていった。そんな時の幹事を務めてくれたのは宮本で、最初は若手だったからということもあるが、10年も経てば宮本も黒帯の先生で、まったく若手じゃないのに、結局最後まで大体宮本が幹事をやってくれた。そういう面倒見の良いやつでもある。宮本の真骨頂はまさにマット上と酒の席で、マットでは柔らかくくねくねと時にズパッと切れ込み、酒の席では柔らかくくねくねと抱きついた。よく東京消防庁を20年間無事に務め上げたものだ(笑)

そんな宮本が岡山で「トライフォース岡山」をやります。岡山市近郊で柔術に興味のある方はぜひ訪れてみてください。宮本先生が親切丁寧にきめ細かくお教えしますので。

https://tf-okayama.com/

宮本には有志で作った黒帯に「冬夏青青」という言葉を刺繍して送った。凍えるような寒い冬の日も、うだるよう暑い夏の日も、松やカシなどの常緑樹はいつもなんら変わることなく青青と葉を繁らせている。折れることなく、枯れることなく堂々とそこに立っている。これから先も色んなことは起こるだろうけど、おまえらしく変に老いることなくいつまでも瑞々しく葉を繁らせていろよという想いだ。また青色は、青春の青でもある。宮本の第2の人生は始まったばかり。第2(?)のアオハルを謳歌しろとの意味合いも込めた。ダブル・ミーニング。

ともかくだ頑張れよ宮本!最後はベタな感じになってしまった(笑)

また会おう!

長い間ありがとう!

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