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文人失格

 小さなころから自己主張や感情表現ができなかった。誰とも話さなかった。友達もできなかった。中学生になっても、自分から人に話しかけることもなく、休み時間はいつも机の前に座っていた。挨拶だけはしないと友人たちに怒られるので、していた。他のことでは、人にされるがままになっていた。いじめられたりもした。  中学三年の時、僕は卓球部に入っており、同じクラスの卓球部の部長、日馬和雄を尊敬していた。自己主張ができ、僕をいじめからかばってくれたこともあるからだ。卓球の大会も終わり、部活動もな

    • 喧嘩

       精神病院に入院していた二十四才の時の思い出です。岩片君という十五才の少年が途中から入院しました。多分、中学生でしょう。岩片君は無口なぼくとは正反対で、よくしゃべる明るい少年でした。最初はとても好印象を受けました。  入院中は退屈なので、ぼくは中年の女性とオセロをしていました。その女性はオセロの途中で、「ちょっと待ってて、洗濯物見てくるから。」と言って、少し抜けました。その隙をねらって岩片君はぼくの前へ来て、オセロをめちゃくちゃにしました。 「治せ」とぼくが言っても、 「治ら

      • チューリップと少女

         雪解け水が土に湿って、チューリップの球根から芽が出ました。芽は土から顔を出し、初めて穏やかな太陽の光を浴びました。チューリップは毎日ジョーロで水をかけに来てくれるさっちゃんという女の子に出会いました。さっちゃんの水と陽の光のお陰で芽はぐんぐん伸びて、やがて花を咲かせました。さっちゃんに見てもらいたくて、まわりのどんな花より綺麗に咲きました。  さっちゃんが来るたび、花は精一杯の香りを放ち、太陽の方からさっちゃんの方へと向きを変えました。さっちゃんは不思議な気持ちで見ていまし

        • 赤い手袋

           るりは、小学校五年生の女の子だ。朝雪が降っていたので、赤い手袋をして学校へ行った。赤い手袋は少し小さめで手にフィットしていた。  ところが、学校へ着いて手袋を脱ごうとすると、手にくっついて脱げないのだ。友だちのよし子ちゃんにも手伝ってもらったが、やっぱり脱げない。仕方なく、手袋をしたまま授業に参加した。すると担任の先生が、 「るり、授業の時くらい手袋とったらどうだ?鉛筆持ちにくいだろう。」  と言われた。 「脱ぎたくても、脱げないんです。」 「何、そんなことあるもんか、先生

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          幽霊列車

          掌編小説  ふと目が覚めると、電車の中にいた。乗客は他になく、自分一人きりだった。(どうしたというんだろう。確か家族と一緒に奥多摩へ行く予定だったのに。いつの間にか眠ってしまったらしい。)電車はごうごうと走る。突然、電気が消えた。外も真っ暗で、しばらく何も見えなかった。自分は意味が分からなくなって、怖くなった。一体どこへ行ったのだろう。もうずっと駅に止まっていない。 「次は地獄谷、地獄谷でございます。その後、三途の川、死へと至ります。地獄谷まであと十五分程度でございます。」

          弘之

          掌編小説 私がそのホテルに入社したのは三十一歳のときだった。いきなりルーム係の係長ということになり、バイトの五人のおばちゃんたちと、一人の二十四歳の青年と一緒に働くことになった。青年の名は弘之といった。弘之は一見おとなしそうな無口な人間に見えた。しかしちょっとおかしなところもあった。  フロント係の人たちが、中華料理を食べに行くというので、私たち二人も誘われた。弘之は最初嫌がっていたが、強く勧められるとしぶしぶついてきた。  フロント係は、私と同じ三十一歳の係長と、その他若い

          青春時代

           高校時代、大学へ行きたかった。どうせいつか就職するのなら、いろんな経験をして、それから就職すればいいと思ったからだ。  新潟大学の理学部が第一志望だった。  けれども家が貧乏なせいで親から反対された。それで就職組に廻った。  進路指導室へ行って職業安定所(今でいうハローワーク)の求人情報を見てもいい就職先は見つからなかった。  そんな時、家に自衛隊の広報官の人が来た。  当時、僕は自衛隊がどんな所かとか、自衛隊に対する考えとか、一切もっていなかった。広報官の人の話を聞いて、

           裏庭に穴を二m位の深さに掘って、その中に飛び込んだ。そうすると地面に届かず、二mどころか、いつまで経っても底に届かないのである。でも、速度に加速度は付かなかった。落下しながらも、途中まではだんだんと自分の体が軽くなり、ある地点を過ぎてからはまた重く感じられた。気が付くと、僕は地球の裏側、南米にいたのである。少し歩くと人の街が見えた。それは南米のたたずまいをしていた。街の人の言葉は分からなかったが、じきに日本人を見つけることができた。僕は、どのように南米に来たのか説明したが、

          シロの思い出

           父が、可愛い子供のスピッツを貰ってきた。名前をシロと名づけた。最初の数日は、裏庭の犬小屋のある所に首輪と鎖で縛られて、家の者が家に入って行くと、とても激しく鳴いていた。ある日、シロの散歩に連れて行った時、父は、鎖を離してもいいと言ったので、そのまま外してやると、シロは急に走り出して、道路へ飛び出し、その上を車が通って行った。シロは気を失っていた。僕達はシロはもう死んだものと思い、後で川に捨てに行こうと、道路の隅に寝かしてきた。家に着いて窓から眺めると、何と死んだ筈のシロがま

          シロの思い出

          Aのつぶやき

          Aのつぶやき  28才のころ、僕は食品加工会社に勤めていた。同じ職場に22才の太ってはいるが性格のいい女の子がいた。仕事もよくできた。顔も太っていたが、いつも穏やかな笑顔を見せていた。  彼女は車で通勤していた。僕は車の運転ができないので、彼女に「今度の日曜日イトーヨーカ堂までトレーナーを買いに車で連れてって」と頼んた。彼女は初めまごついているようだったが、承知してくれた。駅で待ち合わせということになった。  日曜日、本当に来てくれるだろうかと不安になりながら待っていたが、

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