#13 素敵な言葉でも すぐに響くとは限らない。刺さりっ放しな訳でもない。
読んだ本から、何気ない会話から、出来事から、
もちろんnoteからも、
心に響く「刺さる言葉」に出会うことがある。
でも、同じ言葉に過去にも出会い、
実はもう知っていた事だった…
再会した今になって、それを思い出してる…
それもよくあるなぁと感じてる。
理由は分からないけど、
当時は、そこまで刺さらなかったということ。
いつ何が刺さるか分からない。
同じ言葉なのに、タイミングが違えば
受け取り方が違ったりする。不思議。
こちらのチューニングが合っていないと、
素敵なメッセージも 素通りしちゃうようだ。
でも、それって普通のことだよなぁ。
これは、以前 noteに投稿した文章。
娘との実際のやりとりの中から得た
ある気付きについて書いたエピソード。
とある企業のライターさんが紹介記事を書いてくださり、
それがYahoo!ニュースにも配信されました。
その記事に対して、
「作り話では?」とコメントされた方がいて。
「今までに気付く機会がなかったのだろうか?」
と疑問に思われたのが、その理由のようだけど…。
(モヤっとして、しばらく文章を書く気になれないでいました。)
投稿した文章にも書いた通り、
中学の頃、英語の授業で既に
"one of the most "というフレーズに出会ってる。
そのときにも「なんかいいな」と感じていて、
だから少しは何か気付きがあった筈なのよ。
今また思い出すくらいだから、
やっぱり多少は心に残る出来事、言葉だったのだ。
でも、忘れてた。人は忘れる。
思い出も風化するし、せっかくの学びも忘れて、
いつの間にか元に戻っちゃってることは
普通にあり得ることだと思うけど。
何故かというと、それが「考え方のクセ」だから。
しつこくこびりついたクセみたいなものは、
一度の気付きでスパッと直るものではないと思う。
同じメッセージと何度も出会って、
その度に何度も気付き直して、
少しずつ少しずつ取り除かれていくもの。
気付きは「反復作業」だ。
大きな気付きは 不意に訪れたように感じるけど、
パカンと気付き、ストンと腑に落ちるのは
それを重ねた先に、ようやく得る感覚だと思う。
娘とのやりとりから得たものは、
全く初めての気付きではない。
過去にも似たような気付きに出会っているから。
「再会」という形の出会いが 思い出させてくれた。
正確に言えば、そういうエピソードだ。
「一度学んだら二度と忘れない」ができるなら、
僕も 是非ともそうしたいよ。
せっかく学びや気付きを得たならば、
心に、身体に染み込むまで、
何度も何度も言い聞かせてやる。
僕がその努力を怠らず、続けていれば、
もしかしたら忘れないのかもしれないね。
(知らんけど。)
でも、大切なことなら何度でも出会うだろう。
受け入れる態勢が整ったときに、また気付けるだろう。
忘れてもうまくいってるのなら、別にいいだろう。
必要なときにまた気付くだろう。
忘れてそのままならば、その程度なのだろう。
そういうものだと感じてる。
それでいいと思ってる。
人生は長い。一度学んで終わりではない。
自分も子どもの頃に持っていた筈の感情を、
子育てを通してまた思い出したりする。
子どもから教わるって、そういうことだと思う。
おわり。
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