働き方改革はいらない!
今回は、元公務員として、不適切であろう意見を言いたいと思います。
働き方改革。
いまだにこの言葉が使われますが、この改革は、仕事の本質をとらえておらず、働き手の幸福につながらないと思います。
仕事に必要なのは、柔軟性ではなく、充実感
働き方改革の中身に、テレワークや休暇の取得のように、誰もが状況に応じた働きやすい環境の整備が挙げられています。
そのような環境整備の前に、本来の仕事の本質とは何でしょうか。
それは、他人に何かを与えて貢献することです。
その「何か」とは、便利なモノ、快適なサービス、あるいは楽しい時間かもしれません。
そして、他人に与えるためには、自己犠牲は不要で、自分が仕事に充実感を感じ、満たされた状態であることが必要です。
自分が満たされた状態でなければ、他人に与えることはできません。
つまり、働き方が柔軟でも、そこに充実感が無い、つまらない仕事ならば、仕事本来の目的を果たすことは不可能です。
そう考えると、働き方を柔軟にする以前に、他にやることがありそうですね。
それどころか、あまり働き方を柔軟にする制度ばかり乱立すると、仕事の本質を見失う危険性があります。
ワークライフバランスという考え方がおかしい
働く人の多くは、起きている時間の多くを、仕事のために費やしています。
仕事時間はもちろん、通勤や食事、接待等、平日の時間のほとんどは、仕事に充てているでしょう。
そう考えると、仕事とは、ほぼ生きざまそのものといっても良いでしょう。
つまり、仕事と私生活は、組み合わせて機能するものです。
ところが、ワークライフバランスというのは、仕事と私生活を二項対立で考え、ONとOFFを明確にしてバランスを取ろうとします。
スイッチのように簡単に切り替えはできるでしょうか。
仕事で悩みを抱えた状態で、休日や休暇を思い切り楽しむことは不可能です。その逆も、しかりです。
そう考えると、ワークライフバランスという考え方自体もおかしいうえに、実現も不可能だと言えます。
ワークとライフは、バランスを取るべき対立した存在ではなく、一心同体です。
労働生産性を向上して、働き手は幸福になるか
現在の日本は、生産年齢人口が減少し、働き手が不足しています。
その状況を打破すべく、労働者の生産性を上げ、カバーしようとしています。
しかし、労働生産性を向上させるということは、労働者に、これまでに超える業務量を負担させるということです。
このために、複雑な制度や技術を導入し、これが労働者の負担にもなります。
そもそも、労働生産性を向上しても、労働者の給料は大して増えず、資本家が得をするのです。
時代をさかのぼれば、奴隷制度が機能していた頃、奴隷を効率よく働かせて資本家が富を得るために考え出されたのが、「労働生産性の向上」です。
今から1000年後、世界史の教科書には次の記載があるかもしれません。
18世紀に誕生した奴隷制度は、21世紀の日本でも機能し続けた。
また、今の日本は、戦後や高度成長期とは異なり、生活を楽しむためのモノやサービスが溢れています。
そのような状況で生産性を上げ、これ以上、何を生産するのでしょうか。
重箱の隅をつつくような仕事で、モノを過剰生産することは、労働者の意欲を削ぎ、商品の価格の下落を招きます。
働き方を見直すのは、政府や会社ではなく、私たち自身
さて、働き方改革の問題点について、記載させてもらいました。
私の意図としては、声をあげて政府や会社に動いてもらおうとするものではありません。
働き手一人一人が、欧米をマネして様々な制度を乱立した「働き方改革」に、惑わされないことです。
私たちは、世間体や安定を求めた仕事でラクをするのではなく、充実感や楽しさに正直に、仕事を選択すべきです。
これが、本当の働き方改革ではありませんか。
政府や会社に、自分の人生を委ねている場合ではありません。
以下の記事で、関連する部分を深堀しています。
興味がある方は、ご参照ください!
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