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【随想】検索力

かつて、ネットがない時代を思い起こすと、
分からないことがあれば、
辞典やその他いろいろな本で調べたり、
分かりそうな人に聞いたり、
ときには、出来そうなことであれば試してみたりしていた。

そして、ネットが登場したとき、
もうこれで「分からないという不安」を動機に本を買ったり、
恥を忍んで聞かなくても良くなった、
のではないだろうかと感じた。

現在、実際ほぼそうなった。

分からないことがあれば、検索すれば出てくる。
それどころか、
画像検索のおかげで「雑草」や「小鳥」程度の認識だったものの名前が分かったり、
鼻歌からその歌のタイトルがわかったりもする。

つまり、曖昧な知識さえあれば、あとは覚えなくても良く、あとはネットからその都度引っ張ってくれば良い。とさえいえる。

そんな環境に変わり、感じることは
「検索ワードのセンスは意外と大事」ということだ。

私自身、実はそのセンスに関して自信があったのだが、それは家族の中だけの話で、
職場などでは驚くほど速く検索出来る人が居り、「別に自分は普通だった」と認識を改めた。

一方で、検索が苦手な人の様子を見ていると、
キーワードが思い付かなかったりして、
「あー出てこない、面倒くさい、まあいいや」となり、
結局、知りたいことに辿り着けないようだ。

つまり、「検索ワードのセンス」の有無は、検索対象について、キーワードをすぐに思いつくかどうかにかかっている。

そう考えると、
普段から、本、人の話、テレビ、ネット動画でも良いが、そういう見聞きしたものに対して、要約したり、キーワードを見つけたりする習慣のある人がそのセンスが鍛えられていく、
ということになる。

かつて、「分からないことがあったら、辞書で調べる習慣をつけなさい」と親や先生に教育されたが、
今は「検索する習慣をつけなさい」といったところか。

ただし、「調べよう」と思うためには、まず、興味や好奇心がないと始まらない。
加齢とともに、なかなか興味を持つことも減り、「どうでも良い」と思うことが増えてきてしまったが、人生を豊かなものにする意味でも色んなことに興味を持てるようにしたいものだ。

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