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くるくる電車旅〈槐多に惹かれて〉

村山槐多の画を見に行った。
碧南市の藤井達吉美術館。『顕神の夢』展。
村山槐多の個展というわけではないが、槐多の画が見られるなら、一点でもかまわない。
詩も小説も書いたこの夭折の画家に、わたしは強く惹かれている。
もちろん碧南まで、大好きな電車に乗って行く。

今回は、水彩画を趣味とする夫をさそった。
電車には乗り慣れているわたし。
あなたは、安心してついていらっしゃい。

金山から名鉄名古屋本線の特急に乗り、知立で三河線に乗り換える。そこからは、各駅停車の普通電車だ。海は見えないけれど、海に向かって走る。

終点の碧南駅で降り、駅の案内地図を見て、方向を確認し、歩き始める。

小さな駅。静かな街。遠くに火力発電所の高い煙突と煙が見える。
歩くこと六分。三河四国霊場の古刹が集まった一角に、美術館はあった。

小さな静かな町なのに、美術館は多くの来館者でにぎわっていた。
夫が空腹を泣訴するので、絵画鑑賞の前に、館内のレストランで昼食をとった。
五穀米のカレー。

観覧は二階から。
大本教の開祖、出口なおの〈お筆先〉が一番に展示されている。貧困の中で育ち、読み書きを学べなかったなおに、神が降りて書かせたという文字。巧拙を超えた美しさがあった。

村山槐多の画は二点、展示されていた。

〈尿する裸僧〉と題された作品。
背景は暗い。全裸の僧が、燃えながら豪快に放尿している。滝のようだ。結核を病んでいた槐多が、高熱に苦しみながら描いたのではないかと思った。この画は、凡庸なわたしの理解を拒む。

もう一点は、〈薔薇と少女〉。
ひとりの少女が、薔薇の木の前に佇んでいる。
ピンクの花が咲いている。
少女の髪はほつれ、乱れている。
歯を見せて笑っているようにも、荒く息をしているようにも見える。目は、笑っているのか、放心しているのか。
恋する人が、遠くへ行ってしまう。
行く前に、会いたい、あの薔薇の木の前で。
そんな手紙をもらって、約束の日、約束の時間に、奉公先を抜け出して、駆けて駆けて、
間に合ったのか、合わなかったのか…
画の前で、そんな想像をした。

他にも多くの画家のたくさんの画が展示されていた。何かに啓示を受けたような、霊的な感じのする作品が集められていた。

観終わってロビーで休んでいると、十分ほどして夫が出てきた。満足そうな表情をしている。
となりの椅子にすわった夫に、村山槐多のお母さんの話をした。
森鴎外の家で女中をしていたこと。
槐多という名は鴎外がつけたらしいこと。

初耳だ、と夫は目を丸くした。
それは、きっと、槐多は鴎外の……
まあまあ、とわたしはさえぎった。
いいたいことはわかる。わたしも、そうじゃないかと思っている。でも、いわない。秘密は秘密のままで。

でも、これは、いいたい。
あの薔薇の少女を、槐多は愛していたにちがいない。

美術館を出る前に、夫が図録を買った。
A5判365ページの立派な図録だ。
槐多の詩や遺書も載っている。

帰り道、古刹の庭に梅の花が咲いているのを見た。風は、まだ冷たかった。





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