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くるくる電車旅〈覇王のうぶ声〉

織田信長の生誕地には諸説ある。

那古野城説。
古渡城説。

近年有力とされているのが、勝幡城説。

名鉄勝幡駅の駅前広場に、あかちゃん信長の銅像があると、津島に住む友人から聞いた。

降水確率90%の日曜日、思い立って、あかちゃん信長に会いに行った。
雨が降り出さなかったら、勝幡城址まで歩きたいとも思った。

午前10時ごろ、雨傘を持って家を出た。
天気予報アプリでは、20分後に雨が降り出します、なんていっている。
空を見上げれば、意外に明るい。
薄日すらさしている。
だいじょうぶ、あと数時間は降らない。
お天気アプリより自分の目と感覚を、わたしは信じたい。

勝幡駅に着くまで、2回のりかえた。
乗っていた時間は、合わせて30分ぐらいのものだけど。

改札を出たとたんに、雨がパラパラ。
風も吹いている。

銅像は、駅の北口広場にあった。

美男美女とはいえない、ずんぐりした体型の男女が、なかむつまじそうに並んで立っている。
織田信秀と正室の土田御前だ。
土田御前は、おくるみでくるんだ赤ちゃんを、宝物のように両腕で抱いている。
あの子が吉法師。あかちゃん信長。

父と母の慈愛に満ちた微笑み。
あどけない赤んぼうのまなざし。
平和でしあわせそうな、ひと組の親子の銅像だった。

「津島神社にお宮参りにいきましょう」
「そうだな、そうしよう」

そんな夫婦の会話が聞こえてきそうだ。

しかし、世は戦国時代。
群雄割拠とか下剋上とか。

夫婦には、わかっていたにちがいない。
吉法師が傑物であればあるほど、ここから始まる道が、修羅の道となることが······

銅像の前にたたずんでいる間に、雨がやんだ。
わたしは、傘を閉じて、勝幡城址に向かった。

日光川の堤防道。車はめったに通らない。
雨がまた降り出しそうだ。
わたしは、せかせかと歩いた。

日光川。三宅川。領内川。
川に囲まれたこの土地に、広大な屋形を築いたのは、信長の祖父の織田信定。
商業都市の津島を制圧し、その富を吸い上げ、たいそうなお金もちだったという。

10分ほど歩くと、『勝幡城跡』の看板があった。堤防の外側の、蛇が出そうな草むらに、石碑も建っている。
わたしは、道なき道をくだって、草むらに降りた。

『織田弾正忠平朝臣信定古城蹟』

石碑を見上げていると、また雨が降り出した。
いよいよ本降りになりそうだった。
堤防道にあがり、引き返すことにした。
この先に、もうひとつ石碑があるそうだが、それはまた今度、晴れた日に。

川面に雨粒が落ちて、次々と水輪ができる。
川に囲まれた城は、水運や防御に便利でも、雨が降るたびに水浸しになっただろう。
信秀が、古渡、末森と、高台に城を築いて移っていったのは、洪水にうんざりしていたからかもしれない。

北口広場にもどると、あかちゃん信長が、雨に濡れながら、土田御前の顔を見上げている。
信頼しきった表情で。

(これから、いろいろあるよ)

わたしは、生まれたての吉法師に、心の中で話しかけた。

(殺そうとしたり、殺されそうになったり。
母と子の道も、修羅の道)

そうそう、帰りの電車に乗る前に、駅前のメガドンキで御城印を買った。300円。








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