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イギリス生活、1年目が終わる

怒涛のような変化の年が終わる。
自分の2023年を漢字一字で表すなら、「挑」だと思う。色々なことに挑み、飛び込んだ年だった。渡英してまもなく1年が経とうとしているので、軽く振り返りをしてみたいと思う。


イギリスでの生活基盤の立ち上げ

家探し

2022年12月末に渡英し、時差ボケで眠りこけたまま2023年を迎えた。
家探しにすぐさま着手し、とても幸運なことに渡英から2週間で契約完了した。しかも最も気に入ったフラットで、会社から近く便利で快適、大家さんにも恵まれた。同僚たちは何ヶ月も難航していたことを聞くと、本当にラッキーだった。

諸手続き

BRPカードの受取、電気水道ガス関連の手続き、シティカウンシルやNHS・GP登録、銀行口座の開設、インターネット契約など、日常生活に必要な諸手続きは1ヶ月くらいで完了した。

スムーズにいかない場面も多々あったが、「期待はしない」「手厚いサービスを求めない」というスタンスだったので、完了しただけ儲けもの。

日本でやりきれなかった残務

海外転出届の提出、マイナンバーカードの無効化、国民年金(任意加入)への切り替え、保険などの退会、銀行口座やクレジットカードの住所変更手続きなどは海外転居前に済ませたが、NISAの解約や確定拠出年金の切替は未完了だったのでイギリスに来てから取り掛かった。

それにしても日本の役所手続きは恐ろしいほどアナログ。書類や押印が必要だったり、ネットで情報不十分なため電話しようにも限られた時間でしか受け付けていなかったり、つくづく海外在住者にはハードルが高い。

新しい職場でのオンボーディング

初日から上司が無期限休暇宣言

出社初日に直属上司とのオンライン面談で、「体調不良で休むから。期間は未定。君ならできる。」と告げられる。海外あるあるだが、まさか私に起こるとは。

同僚に質問をしまくり、残っている資料から学び、自分なりにまとめたり提案したりして生き延びた。数ヶ月後に復帰した上司と一度だけ対面したが、その翌週に音沙汰なくまた無期限休暇に入った。結局、上司は夏の終わりに会社を去って行った。

残念ながら一緒に働く機会はほぼなかったが、私を日本から転籍させてくれるためにいた人なんだ、と思うと感謝が尽きない。

苦悩し続けた前半

私の所属するグループをディレクターが代わる代わるマネージしたり、ステークホルダーからの厳しい評価を受けたり、オフィス出社管理を厳しくする号令が出たり、そんな中でメンバーが一人去り、二人去り。残ったメンバーの鬱憤も耳にしつつ、とはいえ私ははるばる日本からやって来たので簡単に帰るわけにはいかない。

一番苦しかったのは、言葉や文化の違い、教育やバックグラウンドの違いから来る、「自分の出来なさ」を日々痛感し続けたことだった。自信満々で来たわけではないけれど、日本で易易とできていたことと比べてしまい、周りの反応を過剰に気にしては凹み、劣等感の塊だったように思う。

これに対しては、上司(仮)に自分の状況や考えを話す、同僚に心情を話す、家族に聞いてもらうなどして心の折り合いをつけつつ、本やネットで体験談や記事を見たりしてどう乗り越えるかを考え続けた(今も)。

コーチングセッションを継続的に受けたことで、特に自分の心が強く反応した事柄が起こったときに、なぜそう思ったか、どう受け止めるか、あるいは受け止めないか、などの対話を深められたことは大きな助けとなっている。

自信をつけ始めた後半

メールやチャットはともかく、会議やオフィスでの他愛のない会話にもビクビクキリキリしていたが、担当案件は責任を持って成し遂げないといけない。

1対1でも、小グループでも、50人を超える大人数でも会議の前にはアジェンダと資料を準備し、一人リハ・ランスルーを行い、録音を聞いては自分のイケてなさに悶えながら、出てきたアクションは必ず完了し、担当者をしつこいほど追いかけ、我ながらなんと危なっかしいと思いながらも一つ一つ進めてきた。

人の感情や言葉に振り回され、自分の不甲斐なさに悶絶することはまだ尽きないが、幸いにも理解ある同僚や惜しみなく知識を共有してくれるチームメイトに恵まれて、経験に裏打ちされた自信のようなものがようやく芽生えてきたように思う。これなら、2年目も多分やっていける。


ある冬の日の朝焼け

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