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宿災備忘録-発:第1章2話②

テーブルに伏せられた報告書に、久遠は手を伸ばした。


5歳
山騒祭の初日、九十九山にて行方不明
山中を探すも発見できず、およそ1日経って、自宅の居間にて発見
当時の様子について、捜索にあたったというツクモ支援者に話を聞くも、本人は何度聞いても「覚えていない」と言ったとのこと
無傷であったこと、本人が怖がる様子を見せなかったことから、犯罪性はないと判断し、警察への届出はせず、本件はごく近しいものだけが知ることとなった。


九十九山にて行方不明
 
初めて報告書を読んだ時も、今も、久遠の視線が留まるのは、そこだ。この報告書は、久遠が石寄のもとに持ち込んだ。
 
元々の依頼は、依頼主の邪推に過ぎず、簡単に決着がついた。しかし山護美影に関しては、そう簡単にはいかない。彼女に接触する前に、筋を通さなければならない相手がいた。それが石寄だった。
 
初めて石寄に会った時、その人間性の高さは社会的な地位をもって作られたものではなく、持って生まれた素質である、と感じた。だから、山護美影が極めて稀な存在であり、普通の人間の力では解決できない事情を抱えていることを、正直に話すことができた。石寄は、驚きはしたものの、事実として受け入れた。
 
「まるで神隠しですね」
 
静かに流れた声は背後から。振り返らず、久遠は報告書に視線を刺し続ける。声は続く。
 
「行方不明が結界の歪みに影響されたものでしょうね。そのあたり、鷹丸さんには確認しようもありませんが、湖野の伝承について、もっと調べてもらいますか? 神隠しを思わせる話があるかもしれません」
「山護美影に直接聞く。伝承は、あくまで伝承。人間が創った物語と、俺達の真実は違う」
「勿論、心得ています。ですが、会話のとっかかりとして、彼女の身近にあった物語が役に立つかもしれませんよ。貴方が上手に会話を進める様なんて、想像しがたいですけどね」
「うるさい。お前は占爺の所へ。ここは俺ひとりでいい。会長は話がわかる」
「私が消えたら、残念がるのでは?」
「自意識過剰だ」
「誰かの喜ぶ顔を見られるのは、嬉しいものですよ」
「灯馬……」
 
久遠はやっと、声の主に顔を向けた。灯馬と呼ばれた存在は、ふっと柔らかな笑みを見せ、小さく頷き、姿を消した。
 
灯馬が姿を消してほどなく。久遠だけが待つ部屋に石寄が戻った。石寄は灯馬の所在を探し、落胆の色を顔に滲ませた。しかしすぐに笑みを浮かべ、腕に抱えた木箱と手帳をテーブルに置いた。
 
「お待たせして悪かったね。美代さんから貰った手紙と私のメモを持ってきた。年寄りの記憶は時々あやふやになる。いい加減な話はできないからね」
 
石寄はソファーに腰を下ろすと、漆塗りの文箱の蓋を外した。納められているのは、丁寧にしまい込まれた手紙の束。
 
「美代さんの話は、とても興味深かった。山護という職業、いや職業と言っていいのかわからないが、彼女の生き方には、随分と苦労があったようだよ」
 
一番上の封筒を手に取り、石寄は便箋を取り出す。眼鏡の位置を正し、便箋を開くと、素早く視線を走らせた。
 
「この手紙はね、美代さんから貰った最後の手紙だ。届いたのは、亡くなる1年程前。彼女は心筋梗塞で亡くなったんだが、手紙を書いた頃には自分の心臓が弱っていると、知っていたようでね」
 
石寄は手紙をそっとテーブルに置き、手帳に手を伸ばした。
 
長年使い込まれた皮の風合い。それがよく似合う皺枯れた指先。石寄は手帳のページをめくりながら、久遠に言葉を飛ばした。
 
「手紙には、自分がこの世を去ったら孫を頼みたいと書いてあってね。結局、この手紙が遺言書になってしまった……ああ、これだ」
 
石寄は、ページの間に挟み込まれた紙切れを取り出し、さあ、と言うように、久遠の前に腕を伸ばした。
 
久遠が受け取ったのは、写真。写っているのは、淡い水色をした石。大きさを示すために、隣に定規が並べてある。形は歪な楕円で、縦の長さは、およそ2㎝といったところ。
 
「美代さんから預かった石だよ。最後の手紙と一緒にね……もし孫が成人する前に自分が死んだら、孫を湖野から出し、はたちになるまで貴方の目が届く場所に置いて欲しい。そして孫がはたちになったら、常に身につけられる形にして、その石を渡してくれと……君は、その石がどういう物か、わかるかい?」
「はい。世間一般に出回っている宝石とは異なる物です」
 
久遠は迷いなく答え、自分の首にかかった黒い革紐を引いた。
 
上から2つ、ボタンの外れた黒いシャツ。その胸元から現れたのは、2つの石。ひとつは深海を思わせる青。ひとつは薄っすらと白みを帯びている。
 
石を目にした石寄は、ソファーから腰を浮かせ身を乗り出し、眼鏡を外して視線を石に注いだ。大きく見開いた目元。石に伸びそうになっている指先は、微かに震えているようにも見える。
 
「これは、気宿石と呼ばれています」
 
滔々と音を流した久遠。石寄は、きしゅくいし、と噛み締めるように呟き、ゆっくりとソファーに沈んだ。そして長いため息。その残響が去ると、久遠は再び口を開いた。
 
「この石は、常に身につけることで己の気が宿ると言われています。両方とも、父から譲り受けた物です」
「父上は、どこでそれを?」
「わかりません」
 
簡潔な答えを返し、久遠は石を服の中に戻した。
 
石寄は目をしばたかせ、眼鏡をかけると、久遠に渡した写真に目線を移した。
 
「その石をね、ネックレスに加工して、美影ちゃんに渡したんだよ。美代さんから、はたちの祝いとして預かっていた、と伝えてね。美影ちゃんは喜んでくれたよ。しかし迷った。本当に彼女に渡していい物かどうか……私はね、あれは巫女の涙石なんじゃないかと考えていてね」
「巫女の涙石?」
 
問われることを予測していたかのように、石寄は素早く文箱に手を伸ばした。中から文庫本を取り出し、ページをめくる。中程で手を止め、開いたままの本を久遠に手渡した。
 
「巫女の涙石という話が、湖野の民話に出てくるんだ。湖野の山に住むとされる、巫女の話だよ」
 
 
 
山神に仕えし巫女
山に入りし時より人と異なる者となる
常々美しき御魂であらぬは由々しき事
汚れし御魂涙に変え
その身より捨て去る
 
落ちたる涙
山神の泉にて石となり
泉水石を清め
汚れし御魂無となる
 
 
 
「湖野は、不思議な民話や伝説が数多く残る場所でね。私は石に関係する話を集めているうちに、湖野の民話に辿り着いたんだよ。珍しい種類の石が採掘されることも知って、実際に訪れてみた。石にまつわる史跡もたくさんあって、もう、夢中になってしまってね」
 
目尻に皺を集めながら、石寄は柔らかな笑いを漏らした。久遠の反応を伺う様子もなく、言葉を並べ続ける。
 
「美代さんから聞いた話には、湖野の民話と符合する点がいくつもあってね。特殊な道を生きた人の言葉だから、信憑性が高いというか、信じたくなるんだよ、自分も何かに出会えるかもしれない可能性をね。こんな話、頭がおかしいと思われそうで、今まで人には言えなかった。しかしやっと、君達に出会えた」
 
言い終えた満足感を覗かせ、石寄は氷が溶けたアイスコーヒーに手を伸ばした。ゆっくりと飲み干し、息を漏らしながら天井を仰ぐ。
 
久遠は、目の前に座る男の様子を見つめ過ぎないよう、視界に留めていた。石寄の言葉、表情、気配。湖野に対する思いにも、山護美代に対する思いにも、偽りはない。美影に対しても。石寄の強い愛情を感じとり、久遠は言葉を紡いだ。
 
「美代さんの希望に反しますが、僕は彼女を連れて湖野へ行きます。美代さんが危惧していた事態になったとしても、どこに身を置くのかは、彼女が決めることです。ただ、会長には直接断りを入れておくべきだと思いました。彼女を大切に守ってこられたのですから……彼女が真実に辿り着けるよう、僕が導きます」
 
静かに、語気を強めるでもなく、久遠は言葉を終えた。
 
石寄は久遠と視線を交えたまま、数秒間無言を貫いた。そしてゆっくりと、手帳を差し出した。
 
「持っていきなさい。邪魔にはならないから……私が美代さんから聞いた話をメモしてある。他愛もない内容かもしれないが、ヒントが紛れ込んでいるかもしれない。読んで、君が判断すると良い。今ここで私が話してもね、記憶というのは曖昧だからね。それに、年寄りの話は長いしな……ああ、この本も参考になるだろう。持って行くといい」
「ありがとうございます」
 
味のある風合いの革表紙。長い年月を共に過ごした愛用品を久遠に託し、石寄は大きなため息を吐いた。
 
「君は、美影ちゃんの身に何が起こるのか、予想がついているようだね。おそらく美代さんもそうだったんだろう。それが的中しないよう祈るが、色々と話を聞くとね、まさかと思いつつも心配になる……美影ちゃんがどんな判断をしようと、あの子が幸せなら私は満足だ。手伝えることがあれば何でも言っておくれ」
「ありがとうございます。今のところは」
「そうか……ああ、そうだ。今日は大仕事があるんだったね。人手は足りているのかい?」
「はい。女性が2人、現地へ」
「トラブルになったら遠慮なく言っておくれ」
「お心遣い、感謝します」
「いや、私にできることなんてないに等しいよ。それにしても君のやり方は、涼し気な顔からは想像できないほど大胆だ。ああ勿論、良い意味でね。退路を断って進む。荒っぽいが、私は好きだよ。それで、湖野にはいつ?」
「今週の金曜に」
「山騒祭の前日か……湖野は良い所だ。時間がね、ゆっくりと流れているように感じるんだよ。まあ実際は、どこも同じ時の速さで進むんだが、本当にそんな気がするんだ。生きている間に、せめてもう一度と思ってるんだよ……ああ、いやすまない。年寄りの話は長くていけない」
 
自嘲気味に笑った石寄。その顔が急に年老いて見え、久遠は黙して首を横に振った。
 
丁寧に頭を下げた女に見送られ、久遠は石寄邸の玄関を出た。玄関から門へと続く小道は、緩やかにカーブを描いている。細部まで手入れの行き届いた繊細な景色。絶妙なタイミングで靴底に触れる敷石。外部からの干渉を感じさせない広さ。庭よりも、庭園という呼び名が相応しい。
 
頭上から注ぐ蝉の合唱は、コンクリートが乱立する市街地で聞くよりも生々しい。所々に配置された、大小様々な庭石。それらをひっそりと覆う苔。ここは石寄が作った都会の中の理想郷なのだと理解しながら、久遠は生ぬるい風を掻き分けながら進んだ。門に近くなった頃、ふと右側に視線を奪われる。
 
庭木の間に、小さな庵。その姿を引き立てるように、風は凪ぎ、蝉は声を潜める。僅かな空白を狙って紛れ込んだのは、自動車の走行音。
 
やはりここも都会の一角。喧騒と縁を断ち切れない。日光を遮る程に枝葉を広げた常緑樹も、排気ガスの匂いを吸い切ることはできない。一抹の虚しさを覚え、久遠は宙に息を吐いた。同時に久遠の中で、ある言葉が再生された。
 
 
俺達の生き方も同じ
どんなに平穏を求めても、逃れられない何者に阻まれる
己の中に息づく真実を追い払うことはできない
ならば、共に生きるのみ
 
 
自らの中に甦った音を遮断し、久遠は足を動かした。その背中に触れたのは、灯馬の響き。
 
「用事は済ませてきました。そちらも無事に話がついたようですね」
「大丈夫だと言っただろう」
「心配はしていませんよ。これから買い物に行くんでしたね。付き合いましょうか?」
「子ども扱いするな」
「そんなつもりはありませんが……」
 
振り返らず、足を速めた久遠。灯馬は目元を緩め、音をたてずに笑うと、風に紛れて姿を消した。
 
灯馬の輪郭をさらった生ぬるい風が、久遠の顔をなぞる。枝葉に留まっていた空気が動き出し、茂った植物の香りが、排気ガスの匂いに勝利した。
 
刹那もたらされる、懐かしさと安心感。もう少し、この場に立ち尽くしていたい。そんな心地良さ。久しく顔を合わせていなかった感情を庭の中に置き去り、久遠は重厚な門をくぐった。


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